お慈悲のままに

日々、思ったことを綴っていきます~(ちょっと英語もまじえて)。私の趣味は‘英語を楽しむこと’です。その一環として少し英語を取り入れることにしました。

『ありがたい深い話』 ( Edifying Deep Sermons )(1)

  父が亡くなって、引き出された白骨と向き合ったとき、取り囲んでいた私たちは次第に頼りない存在になっていった。                           

 その時、「おまえの毎日していることを、ここから一度見直して見よ」と父の声を聞いたと語った方が忘れられない。                            

 「生のみが我等にあらず、死も亦(また)我等なり。我等は生死を並有するものなり」(清沢満之)                                     

 生と死を峻別し、死を排して、生のみを充実させようとしている私たちの人生観が問われている。(富山市 真宗大谷派玉永寺前住職 石川正生)                

 

 紙の表と裏は切り離すことができないように、「生きていくこと」と「死ぬこと」も切り離すことはできません。これを生死一如(しょうじいちにょ)と言いますが、生きる裏には必ず死の影が寄り添っているのです。普段は死を忘れて過ごしている私たちですが、これは厳粛な事実です。無常迅速のはかない世の中にあって、                

阿弥陀仏の本願を聞いてこそ、充実した人生が送れることを仏教は教えています。急げ、急げ、ですね。( It is because we hear the Primal Vow of Amida Buddha that we can lead a full life, which Buddhism teaches. Let’s hurry up. )

 題名『ありがたい深い話』は、この本の書名でもあります。詳しくは「『ありがたい深い話』 野辺の送り―富山編」で、発行は富山新聞社です。これからしばらく、この書に出てくる話をおり交ぜて書いていこうと思います。