『ありがたい深い話』(Edifying Deep Sermons) (14)
生活が豊かになり、物があふれている現代、科学技術の発展により便利さを確かに手に入れました。その代わりに大事なものをなくしてしまいました。「いのち」まで自分の都合のよいように「もの」として扱っています。
生きると言うことは、多くの動植物の「いのち」をいただいて「生かされ」ているのです。自分たちの「いのち」は仏様からのもらいものです。「仏法領のものをあだにするかや」。蓮如上人は五百年も前にそのことを戒めていらっしゃいます。(南砺市 真宗大谷派光徳寺前住職 故・高坂制立)
なぜ私たちの「いのち」は尊いのでしょう。前にも書きましたが、「いのち」は仏様からの頂きものだからです。ですが、現在、「いのち」を軽んじる世の風潮がだんだん強まっています。
「仏法領のものをあだにするかや」。「今も、蓮如上人の一喝が響いてくるようです。( Saint Rennyo's bark seems to be resounding even now, somehow. )」