もともとみんな、ひとりなんだ ( Everyone Is Originally Alone )
生ぜしもひとりなり。死するも独りなり / 一遍
生れてきたのもひとりであれば、死んでいくのもひとり。もとより人はひとりなのだ。それがこの言葉の示すところです。
どうもひとりの老後というと、どこか後ろ向きな印象がつきまといがちです。しかし、身近な身体で自由を謳歌する時間もまた、ひとりの老後の側面であることを忘れてはなりません。
もしかすると、周りと自分を比べては「自分はひとりだ」と思うこともあるかもしれません。
しかし、いずれは誰も皆ひとりになります。人よりも早いか遅いか違いだけなのです。その視点に立つと、いままで考えていたものとは違う「ひとりの老後」が浮かび上がってきます。
孤独と向き合って、孤独を生きる。不安と向き合って生きる。喜びと向き合って、喜びを生きる。それが私たちの人生です。
【 『老いを生きる 仏教の言葉100』 】
上記からは、「独生 独死 独去 独来(どくしょう どくし どっこ どくらい)」という言葉が思い浮かびます。『仏説無量寿経』の中で説かれている言葉で、意味は次のようです。「人、世間愛欲のなかにありて独(ひと)り生まれ独(ひと)り死し、独り去(さ)り独り来(きた)る。行(ぎょう)に当(あた)りて苦楽の地(じ)に至り趣(おもむ)く。身(み)みずからこれを当(う)くるに、代(かわ)るものあることなし」
なお、上文の「行に当りて苦楽の地に至り・・・以下の部分の意味は「自己のなす善悪の行業に従って、その苦楽の果報を得る」ということです。
人生、楽しみも苦しみも半々くらいである、とよく聞きますが、果たしてそうでしょうか。お釈迦さまの「独生 独死 独去 独来」の説法からは、詰まる所、人生は底なしの孤独、寂しい所であることがひしひしと感じられます。
この現実を回避する道、阿弥陀仏の本願があって良かった~ と、心の底から思います。
※ 生ぜしもひとりなり 死するも独りなり (Everyone is also born lonely and also dies
lonely.)