心がよいから、よい行いをするのではない(Because One’s Heart Is Good, They Do not Do Good Acts)
わがこころのよくてころさぬにはあらず。また害せじとおもふとも、百人・千人をころすこともあるべし(歎異抄)
この言葉は、親鸞と唯円の対話によるものです。親鸞のいうことは必ず実行できるという唯円に対し、親鸞は「では私がいうなら、千人殺せますか」と問いかけます。そして、一人もころせそうにないと答える唯円に、親鸞は「自分の思い通りに行動できるなら、殺せるはずだ。それができないのは殺す縁がないからであって、心がよいからではない」といいました。
同じように、私たちは、心が悪い人が悪い行いをしていると考えがちです。しかし、どんな人でも状況によっては大きな悪を犯してしまうことがあるのです。それほどに、私たちの心による善悪の判断というのは不確実なものなのです。
【 『 くり返し読みたい 親鸞 』 監修;釈 徹宗 リベラル社 】
心が良いから良い行いをするのではなく、また、心が悪いから悪い行いをするのでもないと言われます。『歎異抄』には「さるべき業縁のもよおさばいかなるふるまいもすべし」とも書かれていますが、しかるべき縁がくればどんな行いもしてしまうのです。
縁があるか無いかで行いが決まるのであり、心の良し悪しで決まるのではないということです。「縁」の強さ、奥深さといったものを感じます。