弟子も、ともに歩む仲間である ( Disciples Are Also Company to Walk Together )
親鸞には「歎異抄」の著者とされる唯円(ゆいえん)のほか、多くの弟子がいました。しかし、親鸞は「弟子は一人も持っていない」というのです。それは、仏さまの前ではどんな人も同じ道を歩む者であり、そこに優劣など存在しないということ。様々な派閥で弟子を囲いこんだり、宗教間で争いを繰り広げていた当時の風潮を批判する言葉でもあります。
現代に生きる私たちも、立場が上がるにつれて部下や後輩ができたり、物事を教えることが増えてきます。しかし、視点を広げてみれば、皆が同じ目標に向かって進む仲間ともいえるはず。傲慢になることなく、ともに歩む姿勢を大切にしましょう。
【 『 繰り返し読みたい 親鸞 』 監修;釈 徹宗 リベラル社 】
親鸞聖人が、「弟子は一人も持っていない」と言われたのは、「仏さまの前ではどんな人も同じ道を歩む者であり、そこに優劣など存在しない」からでした。そして、「皆が同じ目標に向かって進む仲間である」と思っておられたからでした。つまり、聖人は、すべての人は、仏さまの前では平等であると心得ておられたからです。それに、「宗教間で争いを繰り広げていた当時の風潮を批判する言葉でもあります」という文言も見逃せません。