楽しく生きるのが、仏さまへの恩返し ( We Live Happily Come to Repay the Buddha Kindness )
● 私たちは生まれた瞬間からお世話になりっぱなし
一瞬でも、自分だけの力では、生きてこられなかった。けさ食べた、バターを塗ったパン、フライパンで焼いた卵のおかげ...... 。きのうの晩にいただいた、おさしみと、ほうれん草と、トンカツのおかげで生きている。
そして、なによりも、知らぬうちに、いつも働いてくれる呼吸のおかげだった。
空気の力も、あった。水の力もあった。太陽の光にも、すっかりお世話になった。
恩徳は身を粉にしても報ずべし (正像(しょうじょう)末和讃)
大自然から受けた恩恵のありがたさがわかって恩返しをしたいと思ったら、海岸ぞいの道を黙って清掃している人のように、だれからも認められなくても、みんなが喜ぶことを、うれしく楽しく実行できたら、この上ない「恩返し」となる。
【(超訳)『 こころに響く 親鸞の言葉 』 境野勝悟 三笠書房 】
『浄土真宗聖典』の「正像末和讃」(五九)には、次のような和讃があります。
如来大悲の恩徳は
身を粉にしても報ずべし
師主知識の恩徳も
ほねをくだきても謝すべし
仏さまから頂いた大切な命です。題名のように、「楽しく生きるのが仏さまへの恩返しになるのです」また、人生は楽しく生活できることも恩返しになるのですね。