「誰かのため」が人生を開く ( To Do One’s Best for Someone Opens One’s Life )
- 「人のため」が「自分のため」になる
若いころ、「世のため、人のため」なんて、ちょっぴりも考えたことはない。
人からよく思われたい……という気持ちはあった。が、「人のため」は、なかった。
大学の卒論で、芭蕉と接したころから、自然が妙に心の中で踊りだした。
いつの間にか座禅の虜(とりこ)になると、でっかい宇宙の生命が少し手に入るようになった。と、いつの間に、なんとか「人のため」になりたい……と、思いはじめた。
なぜ? わからん! が、「人のため」には何もできなかったくせに、ただそう思うだけで、人生がぐんぐん開けてきた。心から、何かをやりたい気分も湧いてきた。
功徳の宝海(ほうかい)みちみちて (高僧和讃)
ナムアミダブツの尊さも、あなたから離れた遠いところにあるのではない。仏さまの手もとにある、というものでもない。現にわたし自身の体に働いて、心にも肉体にも、いろいろな行動力を創生してくれる。
世間には、人のためになりたいとボランティア活動をしている人たちがたくさんいます。「功徳の宝海」とありますが、「よい果報をもたらすもととなる善行を施す」ということですので、人のために活動することが、自然に気持ちよく、楽しくさえなるのです。おのずと自分のためになっているのですから、「善因善果」つまり、「善い行いには安楽な果報があるということ」ですね。