まず教えを説く者が聞け(First, a Person Who Preach the Teachings should Hear)
人を教え導こうとする者は、まず自分自身が教えに親しみ、阿弥陀如来の明るい眼とめぐりあうことが大事である。その上で、教えを説くならば、聞く人も無理なく自然に阿弥陀如来の心とご縁が結ぶことができるに違いない。
【『 現代語訳 蓮如上人御一代記聞書 高松信英(たかまつしんえい)法蔵館』】
上記に、「阿弥陀如来の明るい眼(まなこ)」という言葉があります。著者は自身の『御文さま―真宗の家庭学習―』という著書の中で「阿弥陀如来の明るい眼」の意味について、詳しく書かれています。この『蓮如上人御一代記聞書』の中で、その「明るい眼」の意味が頻繁に出てきますので、その意味を明らかにしておきたく、数例、書き残しておくことにしました。
「阿弥陀如来の明るい眼(まなこ)」の意味
1.「観無量寿経」には、阿弥陀如来の智慧の眼は、どんな人の「心の世界」をも明る く見返し、「南無阿弥陀仏」と頭が下がった人をすべて「明るい世界」に導かれると
教えられている。
2.「阿弥陀如来の明るい眼」は、「やっと気がついてくれたか」と喜ばれて、「八万 四千人の人がいれば、「八万四千通り」の教えを説かれて、その人を感化されるに違いない。
3.阿弥陀如来の明るい眼にめぐりあい、(有り難いご縁)に恵まれて、「他力信心という素晴らしいおくり物をいただくことができる」。
阿弥陀如来の明るい眼とめぐりあうことが大事だと教えられています。