お慈悲のままに

日々、思ったことを綴っていきます~(ちょっと英語もまじえて)。私の趣味は‘英語を楽しむこと’です。その一環として少し英語を取り入れることにしました。

Child Abuse and Karmic Cause(児童虐待と業縁)

 親による児童虐待事件はよく聞く話です。ついこの前も3、4歳の頃、母親から虐待を受けたある女性(44)の話が朝日新聞に出ていました。内容は次のようです。       
 「女性は、当時いろいろの決まり事を母から課せられ、それが出来なかった時は、たたかれたり、蹴られたりしていました。父親は仕事でほとんど家にいませんでした。泣き叫ぶと母は馬乗りになって、女性の口に粘着テープをはったり、ある時は、のどに指を突っ込まれ爪でひっかかれて出血したこともありました。病院に連れていかれたけれど、母が怖くて医師に怪我の理由を言えませんでした。                        
 大人になって、「児童虐待」という言葉を知り、自分の身に起きていたことは虐待だったと気づいたのです。母に問い詰めても、「覚えていない」と言われた時、女性の中で長年の感情がプッツンと切れてしまったのです。「許せない」。女性は2年前、父母の戸籍から抜ける「分籍」の手続きを取ったといいます」。                     


 我が子ののどに指を突っ込んで爪で引っかくとは想像を絶するような異常な行為です。また、「分籍」という制度があることを初めて知りました。ただ、分籍しても親子の縁が切れるわけではないそうで、どのようなメリットがあるのか分かりませんが、そうせずにはおれない女性の気持ちがあったのだと思われます。                   


 幼い頃の我が子といえば、どの親にとっても目に入れても痛くないと言われるほど可愛いものです。でも、このような非情な虐待がどうして起こるのか、類する話を聞きますと、私は親鸞聖人の言われた「さるべき業縁の催(もよお)せば、如何なる振舞(ふるまい)もすべし」(『歎異抄』第十三条)の言葉を思い出します。例えば、殺人は悪い事だと身に染みるほどわかっていても、もし自分が殺されるとなった場合はどうでしょう。逆に相手を殺してしまうかもしれないのです。決して許されないことを犯してしまうことはあるでしょう。さるべき業縁がそのようにさせてしまうのだと教えられています。人間の業の深さを思い知らされます。                                  


If the karmic cause so prompts us, we will commit any kind of act.
 (さるべき業縁の催せば、如何なる振舞もすべし)