Sentient Beings(凡夫)
親鸞聖人は仰せになる。
凡夫というは 無明煩悩われらが身にみちみちて 欲もおおく いかり はらだち そねみ ねたむこころおおくひまなくして 臨終の一念にいたるまで とどまらず きえず たえず
凡夫は、命終るその瞬間まで、煩悩から離れられないものを言う。すべてのことを私中心にみて争いをおこし、欲望、怒り、妬みに、心と身体を悩ませ苦しみ続ける。
仏法に出あうとき、煩悩に満ちみちている凡夫は、他の誰のことでもなく、この私のことと気づかされる。念仏申すひぐらしの中に、ありのままの私の姿を見せていただく。
【 『拝読 浄土真宗のみ教え』 編集委員会 本願寺出版社 】
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凡夫というもの、すなわち他ならぬ私の真の姿が明らかにされています。
煩悩に満ち満ちた私に違いないと、「念仏申す日ぐらしの中に、ありのままの私の姿を見せていただく( I am shown what I really am in a daily life in which I say the nem-butsu. ) 」のです。仏法との出あいがあればこそ、知らされることです。