念仏は称えれば称えるほど救われるのか?
法然の弟子には、その専修念仏の教えを、量が大切な問題だと受けとめる弟子が多くいる中で、親鸞は念仏は質が問題だと明らかにしたといえる。
その質とは、法然の主張した念仏の真意は、信心を伴う念仏こそがまことの念仏だと理解したことである。
【 『ここがわからん 浄土真宗』 大法輪閣編集部 [編] 】
念仏は「量より質が大事である。( Quality is more important than quantity. )」と言われます。信心を伴わない念仏を「専修念仏しても(専ら称えても)」救われることはありません。ですので、前回書きましたが、「称名念仏によって往生成仏が決定するのではない」ということです。救われるとは、あくまで阿弥陀仏の本願を聞いて(本願に対する)疑心がなくなることであり、念仏の多少と関係がないことなのです。ですので、「念仏は称えれば称えるほど救われる」ということはありません。