お慈悲のままに

日々、思ったことを綴っていきます~(ちょっと英語もまじえて)。私の趣味は‘英語を楽しむこと’です。その一環として少し英語を取り入れることにしました。

真宗が祈祷を否定する訳 ( The Reason Why the Shin Buddhism Deny Player )

 「祈る」のは、私たち凡夫の心である。私たち凡夫の祈りは、私たちの欲望の心、自己中心的な思い、自己愛がまざりあって生まれてくるものである。
 そのような欲望から離れ、さとりをひらき仏となるようにというのが、仏の祈り(願い)である。祈りの中にある煩悩に気づき、仏の願いを受け止めていくのが、浄土真宗の念仏者のあり方である。
    【 『 ここがわからん  浄土真宗 』 大法輪閣編集部 [ 編 ] 】

 

 浄土真宗は、なぜ、祈祷(きとう)を否定するのでしょう。その訳は、「煩悩まみれの私たちの願いを仏さまに聞いてもらうのではなく、仏さまの祈り(願い)を聞くのが、私たち凡夫であるからです。( We do not have Amida Buddha hear our aspirations covered in blind passions, but we foolish beings do hear the Buddha’s Vow. )」