お慈悲のままに

日々、思ったことを綴っていきます~(ちょっと英語もまじえて)。私の趣味は‘英語を楽しむこと’です。その一環として少し英語を取り入れることにしました。

A Midsummer Scene (真夏の風景)

 一人一人は命は自分だけのものだと思っているかもしれませんけれども、これみな同じ一つの命なんです。命そのものはそんな狭い枠にはまらないのです。命は決して人類だけの所有物ではありません。草花でも動物でもすべて、生き物は同じ大きな一つの命を生きているんですね。その同じ大きな一つの命、つまり輪郭の中に収まらないのが命の正体です。(大峯 顕)(3)
(英訳)
Although each of us may think that life is the possession of the individual, each life is
contained in the same and the one life. Life itself is not set in such a narrow frame.
Life is never the possession of only human beings. All plants and animals live the
same and the one large life, don't they? The same and the one large life, that is to
say, what cannot be set in a frame is what life really is.


 連日33度を超える猛暑の続く夏の盛りも、早朝の風景はやや涼しさを感じさせる落ちつきがあります。
 私が早朝散歩に好んで行く公園は、一つの小山全体が公園になっていて、適度の起伏もあり、平地もあり、木立も生い茂り、豊かな自然を満喫できる所です。その公園も今はすっかり夏の装いに姿を変えています。圧倒されるほど濃い緑の木立は、マイナスイオンに満ち、朝から「ジィーッ」と暑苦しく鳴くアブラゼミの合唱に包まれています。また一方の木立からは、「カナカナカナ」と少し哀調を帯びたヒグラシの鳴き声も聞こえてきます。いくつかの音色の違う小鳥たちのさえずりに混じって、時折甲高いキジの鳴き声や、おだやかなハトの鳴き声も聞こえてきます。目を転じれば、池には三羽のコサギの一家がむつまじく浮かび、まだ低い太陽の斜光をを浴びて、その白さが一層目を引きます。コイもゆうゆうと群れて泳いでいます。
 刈られても刈られても、間もなく息を吹き返す雑草、そして夏を生きる木々や、いろいろの生き物を通して見える真夏の風景からは、生き生きした生命力や、弾む命の躍動が感じられます。
 大峯先生は言われます。すべての命は、それぞれが一つの大きな命を生きているのだと。その大きな命とは、無量寿の命です。すべての命の根源としての命です。
 道理で人は、その大きな命の一部として生きる個々の命の営みから、逆にその根源にある、想像を絶する力強い命を感じ取ることができるのですね。