お慈悲のままに

日々、思ったことを綴っていきます~(ちょっと英語もまじえて)。私の趣味は‘英語を楽しむこと’です。その一環として少し英語を取り入れることにしました。

Karmic Relations(宿縁)

 今は花の季節、桜前線がどんどん北の方へ進んでいます。私の日課のウォーキングは、冬の終わりとともに日中から早朝になり、本来の朝の散歩の感覚が戻ってきました。    
 ちょうど一週間ほど前の3月の末、公園へウォーキングに出かけた時のことです。その日は快晴で、気温は3度強、吐く息が白く見えるほど冷え込んだ朝でした。東の山々の稜線の少し上に昇った太陽と、西の空にふわっと浮かんだ薄色の月と、そして澄みきった青空とが互いにこの上ないコントラストを見せていました。地上では、芝生が霜をかぶり白く凍てついて見えました。そして池の水面から立ち上る湯気が、太陽の光を浴びてゆらゆらと朝霧のように池の上に立ち籠めていました。                       
 そのような中、突如、「ホーホケキョ」と朗々とした鶯の鳴き声が聞こえてきたのです。それもすぐそばの木立からでした。めったに聞けない透き通ったきれいな声です。私は引き込まれるようにしばらく立ち止まって聞き入ってしまいました。            

 あの朝の、見事に織り成された空の風景と周りの佇まい、そして鶯の声とのコラボレーション、あの時の雰囲気をもう一度体感したいもの、と願いながら出かけて行くのですが、未だ実現していません。特に鶯の鳴き声をもう一度聞きたいと思っているのですが……。  


 古歌に「山鳥のほろほろと鳴く声聞けば父かとぞ思う母かとぞ思う」と、奈良時代の僧侶、行基の作った歌があります。行基は「山鳥のほろほろと鳴く声を聞くと、その山鳥は過去世において、自分の父であったかとも思い、母であったかとも思うのである」と歌っています。 

 多くの人の中で、ただ一人私と、そして多くの鶯の中で、ただ一羽あの鶯とが、あの時、あの場所で、同じ時空を共有したのです。           

 あの鶯と私とは、よほど深い縁があるに違いありません。         
( I and that bush warbler must have karmic relations. )