お慈悲のままに

日々、思ったことを綴っていきます~(ちょっと英語もまじえて)。私の趣味は‘英語を楽しむこと’です。その一環として少し英語を取り入れることにしました。

To Live as I Am(ありのままに生きる)

 このごろは主体性だとか、自分をもっと大事にせよとかいう考え方が流行っていますが、いったい本当の主体性とは何でしょうか。それは、お粗末な私のこのままが如来様の摂取の中にある私だということへの目覚めのことだと思います。だから、別に威張る必要もなければ、卑下する必要もありません。如来様の摂取の中にない人は、威張ってみせるか、卑下したりするかどちらかです。(大峯 顕)(5)
These days subjectivity or one's viewpoint of making much of oneself prevails, but
what ever is the true subjectivity? I think it is the awakening to the fact that I who am
worthless exist as I am in the Tathagata's grasp. So there is no need for me to be
proud of or to humble myself in particular. Either a person who is not in the
Tathagata's grasp puts on airs or he depreciates himself.


 「私の本性はお粗末なままである」そのお粗末なままの私を、阿弥陀さまは救って下さっているのですから、今さら威張って偉ぶるとか、卑下して卑屈になるとか、そんな必要はさらさら無いのですね。ありのままの私で生きていく…… 気楽です。
*【広辞苑
主体性:主体的であること
主体的:ある活動や思考などをなす時、その主体となって働きかけるさま。他のものによって導かれるのではなく、自己の純粋な立場において行うさま。