お慈悲のままに

日々、思ったことを綴っていきます~(ちょっと英語もまじえて)。私の趣味は‘英語を楽しむこと’です。その一環として少し英語を取り入れることにしました。

To Experience Life in Other Power(他力の人生を経験する)

 第七条(歎異抄)に出て来ますように、お念仏の世界は、魔界や外道も障碍することはない。悪魔もお念仏の人を妨げないんです。その恐ろしい鬼がお念仏の前に出たらみんなおとなしくなってしまう。それがお念仏の御利益の不思議です。
 これは親鸞聖人が生活上実験したこと、実際に経験したことをおっしゃっているわけです。経験しないことを言われるはずがありません。明治の偉大な仏教者、清沢満之という人も同じことを書いています。自分が如来様に助けられて今生きているということは、自分が毎日毎晩経験している事実である。お浄土がどれだけ楽しい所かは、私はまだ経験していないからそれについては今は言えないけれど、毎日毎晩、如来の他力の中に生かされているということは現在の明瞭な経験だと言うのです。想像でも夢でもなければ、思い込みでも願望でもない。この私が、今ここで、必ず助けると言っている如来の言葉の中に生かされている。これは疑いようのない厳然たる経験の事実だ、とはっきり言っています。
 お念仏があればいかなる死に神も魔界も私を妨げるものはないという聖人のことばは、そういう人間存在の現実の経験の事実を告げているのです。親鸞聖人の教えのすばらしいところは実にこの点にあります。当時の自力聖道門の方々が経験しなかったことを、ちゃんと経験されたのです。それは自分が偉いということではなくて、この親鸞のようなものを助けて下さる、計り知れない不思議な力があったということの発見、それに出会われた、その驚きと喜びの表白です。(大峯 顯)(11)
The above- mentioned content is what Saint Shinran proved in his daily life: what he
actually experienced. He cannot say that which he has not experienced himself.
Manshi Kiyozawa, a great Buddhist in the Meiji era, writes the same things as he
does. “ It is what I really experience every day and night that I have been saved by the
Tathagata and am living now. I can not tell you now what a pleasant place the Pure
Land is because I have not been there yet, but it is what I evidently experience that I
am made to live here now in the words of the Tathagata who says he is sure to save
me. This is the undoubted undeniable experience, which is the fact,” says Kiyozawa
distinctly. (第2段落の訳)


 歎異抄には、信心の人には魔界や外道も障碍することはないと説かれています。これは親鸞聖人のお言葉ですから、聖人が実際に経験したことをおっしゃっているのだと大峯先生は言われ、またこの聖人と同じことを書いているのが清沢満之という人だと、清沢の言ったことを紹介しておられます。「念仏者は日々の生活上、如来の他力の中に生かされていることを実際に経験しているのである」という清沢満之の言葉には強いインパクトを感じます。
 我々人間が生きて行くということ、それは30代の人なら30代の人生を、40代の人なら40代の人生を、それぞれが経験して行くことだと言えます。念仏者は如来の他力の中に生かされて歩む人生ですから、「他力の人生を経験する」ことだとも言えます。如来の言葉の中に生かされている人生を実際に経験するのです。考えただけでも力が湧いてくるような感じがします。
 すべてがむなしく崩れ去るこの夢の世において、阿弥陀仏の金剛不壊の不思議な力のおかげと感謝し、他力に生かされていることを意識して日々を過ごしてみたいと思います。

広辞苑
魔界: 悪魔の世界
悪魔: [仏] 仏道修行を妨げる悪神の総称。魔羅。
魔羅: [仏]仏道修行を妨げ、人の心を惑わすもの。仏伝では釈尊の成道を妨げようとした魔王の名。魔。
浄土真宗聖典(注釈版)註】
魔: 魔羅の略。悪魔、人の生命を奪い善を障碍する悪鬼神。欲界第六天の主である魔王。転じてさとりに至ることをさまたげるもの、煩悩を指す。
清沢満之(百科事典マイペディアより)】
(1863−1903)。真宗大谷派の僧。尾張藩士の子。京都に出て得度を受け、東大哲学科を卒業。1894年肺結核発病後信仰に目ざめ、1899年精神主義を唱えて本郷に浩々洞をつくり、同志・門弟を集め、また巣鴨真宗大学学監となる。内観主義、他力主義を特色とし、近代的合理主義を克服する立場。