お慈悲のままに

日々、思ったことを綴っていきます~(ちょっと英語もまじえて)。私の趣味は‘英語を楽しむこと’です。その一環として少し英語を取り入れることにしました。

The Story of a Certain Wondrously Excellent Person(ある妙好人の話)①

             極楽からの使者
 これは昔のこと、丹後の国普光寺に、深く深く浄土を願う上人がおりました。上人はかねて、世間一般の取り行う年の初めの祝いごとを、自分もしてみたいと思っていました。そこで大晦日の夜、ただ一人の小僧に手紙をしたため、夜があけたら、このようにするんだぞと言い聞かせ、本堂に寝かせたのです。

 上人の言われるままに夜をあかした小僧は、元日の朝まだ暗いうちに起き出で、教えられた通り表へ廻り、門の戸をトントンと叩きました。「何処より来られたか」と、中より声が聞こえるやいなや、小僧は言下に「西方阿弥陀仏より年始の使僧に候」と、大声で答えたのです。

 上人これを聞くやいなや裸足で踊り出て、門の扉をサッとあけ、小僧を上座に請じ入れ、昨日小僧にしたためた手紙をおし頂いて読み上げました。「其の世界は衆苦充満に候間、はやくわが国に来たるべし、聖衆出迎いてまち入候」。そして読み終わるや、オオと声を立てて泣いたのでした。
  【 「妙好人めぐり」第三集 平原暉也編集 文化時報社発行 】


  普光寺の住職は、自分の書いた手紙を読んで、感極まって泣きだしています。これとよく似た話が御一代記聞書の中にも出てきます。ある時、ご病床にあった蓮如上人が、慶聞坊に「何か読んで聞かせてほしい」と請われて、御文章を読ませられた時、「自分で書いたものではあるが、本当にありがたい」と言われたという話があります。仏教の話というものは、自分で書いたものとはいえ、その内容は仏様の説かれていることですから、いつ読んでも尊く感じられるものなのですね。

My impressions:
The chief priest of the Fuko-ji temple read the letter he had written by himself. It said, “ The world you live in is filled with various sufferings, so come soon to my world where many Buddhas are waiting for you.” Soon after finishing reading it, he began to cry
loudly. That was because he was very moved with the Buddha's words written in the
letter. Even if a piece of writing is a personal one, it is always valuable as long as it
tells us about Buddhism.