お慈悲のままに

日々、思ったことを綴っていきます~(ちょっと英語もまじえて)。私の趣味は‘英語を楽しむこと’です。その一環として少し英語を取り入れることにしました。

Crows(カラス)

 こちらに移り住んでから、この時期に限って、極めて珍しい光景に毎日出会っています。その光景とは、カラスの一種の行動パターンとでも言うべきものでしょうか。晩秋から冬の間、毎日約三カ月に亘って続いている行動です。夜が白々明けるころ、カアー、カアーと鳴く声と共に、カラスの集団が東の方向から一斉に飛来して、ちょうど我が家の上空辺りで、それぞれが思い思いに旋回を始めます。その数、数百羽、いや優に千羽を越えると言ってもいいでしょう。それほど多数がカアー、カアーと大空を飛びながら鳴きかわす様は、とても異様で、その鳴き声は騒音に近いと言ってもいいぐらいです。どうやら近くにある高い鉄塔を目印に集まって来るようです。

 多くがその鉄塔のてっぺんに群がったり、電線や家々の屋根に止まります。かれこれ30分ぐらい経つと、ほとんどのカラスは、どこかに落ちついて止まっているのですが、ここで私としてはちょっと面白いな、と思えるカラスたちの取る行動を観察することになるのです。それは、私の部屋の目の前の電線上に、およそ百数十羽がずらりと横並びになり、皆一斉にこちらを向いて羽を休めるという行為です。反対向きに止まるカラスは一羽もいません。何故だか全部がこちらを向いているのです。ちょうどその頃は、私の朝食タイムと重なるので、一口一口ごはんを食べる私の姿が、彼らには丸見えになるわけです。なんだか二百数十の目にじっと見られているようで、おもわずレースのカーテンを閉めたくなる心境になることもあります。

 彼らはその後しばらくすると、どこへともなく飛び立ちます。一羽一羽、あるいは数羽ずつまとまって飛び立ち、次第に姿を消していきます。しかしこれと同じ行動が夕暮れ時に再び繰り返されるのです。夕方、今度はどこからともなく次々と、またたく間に我が家の上空辺りに現れ、旋回を始めます。その行動パターンは朝と同じで、また電線上にこちらを向いて横並びに連なって止まり、しばらく休んでから朝方やって来た東の方向へと帰っていきます。でもちょうどその頃は、またもや私の夕食タイムと重なるので、私としては、今度は夕食のシーンを彼らに見られるハメになるのです。

 ところがカラスも機械ではありませんから、きちんと一定の行動をとり続けることはないようです。ほとんど毎日が上記の行動パターンなのですが、ほんのまれに、違った行動を取るのを目撃したことがあります。その日は、午後のまだ日も高い時間帯でした。道路をはさんで、百メートルほどのところにある家々の上空をぐるぐる飛んでいたカラスは、ある一件の家の屋根に止まり始めたのです。こちら側の屋根面、一面にびっしり止まった数は、暇にまかせて数えてみると、その数、百数十羽でした。さぞかしその家の住人は、うるさいほどの鳴き声にビックリされていたのではないでしょか。更にその日は、彼らは何時にない行動をとったのでした。その家の横の方に立っている裸木にも、次々と止まり始めたのです。その数も百羽以上でしたから、まるで木に黒い花が咲いたように見えました。実にその日はカラスの家とカラスの木が、ほぼ同時に出現したのでした。

 ところでカラスは百科事典よると、鳥類中知能は最も高いといわれています。これを実証するかのように、ある人がカラスの計算能力を実験したところ、4までの数を数える能力があることがわかりました。でも彼らは人間の目から見ると、悪賢い鳥にしか映りませんし、彼ら自身も自分たちは人間にきらわれていることをよく知っているそうです。ゴミをあさって散らかしたり、作物をつついたりするたびに、人間からは「けしからん奴」と睨まれるのですから、そのように思うのも無理からぬことでしょうね。

 しかしここに「烏に反哺の孝あり」というカラスを敵対視ばかりしておれない言葉があります。広辞苑には、「烏が雛のとき養われた恩に報いるため、親鳥の口に餌をふくませてかえす」とあります。人間であれ、鳥であれ、親が子の面倒を見るのは当然のことですが、人間でさえ親ともなると、自分の子供同様に心を尽くして面倒を見るのは、なかなか難しいものでしょう。ところが鳥の身でありながら、親の恩を忘れないで恩返しするというに至っては全く頭が下がる思いです。このように考えると、カラスを「けしからん奴」と思うどころか、尊敬の念さえ涌いてくるのです。


烏に反哺の孝あり
A crow is devoted to its parents; it feeds its parents from mouth to mouth in
order to repay them for their kindness.