The Poem by Fumiko Hayashi(林芙美子の詩)
彼女の人生苦の中から、お釈迦さまに救いを求めた一篇の詩が『放浪記』の中に出てくるので紹介したい。
お釈迦様
5月×日
私はお釈迦様に恋をしました
仄(ほの)かに冷たい唇に接吻(くちづけ)すれば
おおもったいない程の
痺(しび)れ心になりまする
ピンからキリまで
もったいなさに
なだらかな血潮が
逆流しまする
心憎いまで落ちつきはらった
その男振りに
すっかり私の魂はつられてしまいました
お釈迦様!
あんまりつれないではござりませぬか!
蜂の巣のようにこわれた
私の心臓の中に……
お釈迦様
ナムアミダブツの無常を悟(さと)すのが
能でもありますまいに
その男振りで
炎のような私の胸に
飛び込んで下さりませ
世俗に汚れた
この女の首を
死ぬ程抱きしめて下さりませ
ナムアミダブツの
お釈迦様!
林芙美子著 『放浪記』(ハルキ文庫)より
【 「妙好人めぐりの旅」 伊藤智誠 法蔵館 】
何とも情熱的な詩ですね。ここで伊藤師は、林芙美子を一茶や良寛のような誰もが認める妙好人としてではなく、その生き方や作られた詩などから、仏教の無常を肌で感じた「感覚的妙好人として紹介されています。
それにしても「お釈迦様に恋をした」とは、「ふぅ〜ん、こんなことを思う人もいたんだ」と、まず驚きました。と言いますのは、私は21〜22才の頃「私は阿弥陀様に恋したい」という題名の原稿を、当時某会地区青年部が出していた「部報」なるものに書いたことがあるからです。「阿弥陀様に恋したい」とは、何と大胆な、と当時の自分を振り返って思うのですが、それだけ阿弥陀仏にすがって助かりたい、という気持ちが強かったのだと思います。その内容は忘れましたが、題名はしっかり覚えています。
今知らされていることは、私が阿弥陀仏に恋するのではなく、阿弥陀仏が私に、すでに私よりずっと前から、恋して下さっていたことでした。全く感服の至りです。阿弥陀仏はすべてにおいて、私の先手なのですね。
林芙美子も、あの有名な「花の命は短くて苦しきことのみ多かりき」という言葉や、『放浪記』等と同様に、念仏の妙好人としてもその名を遺してほしかったな、と思うのです。と言いますのは、妙好人であるということは、本人自身のお釈迦様への恋は実ったということであり、そのことで、後の世に与える影響も更に大きいものになっただろうと思うからです。
My impressions:
It is quite surprising that Fumiko Hayashi composed such a passionate love poem as
the above. The author Mr. Kobayashi says he has introduced her as a sensuously
excellent person in terms of her way of life and her own poems. How I wish she had
been a firm believer of nembutsu. If she had been so, she would have considerable
influence over future generations.