Heaven Expressed in the Sutras(経典に説かれている天界の様子)
忉利天の場合は、その楽しみは極まりないほどですが、いよいよ寿命が尽きるときには、五つの衰えの姿が現れます。第一は、頭の上の花かざりがしぼみ、第二は、天界の着物が垢やほこりで汚れ、第三は、腋の下から汗が流れ、第四は、両眼がよく見えなくなり、第五は、現在住んでいる天界にいることを喜ばなくなるのです。こういったようすが現れてくると、侍女や従者たちはすべて離れていって、あたかも草を捨てるように見棄ててしまうのです。そこで、林間に横になって、次のように嘆き悲しむのです。
「あの侍女たちを、自分はいつも可愛がってやってきたのに、どうして草を棄てるように私を突然見棄ててしまったのでしょうか。自分はもう頼りにするべきものも人もありません。誰が私を救ってくれるというのでしょうか。 (途中省略) どうか私をあわれに思って、寿命がなくなるのを救い、ほんの少しでも生きながらえさせて下されば、どんなに嬉しいことでしょうか。どうか、あのいやな馬頭山(めずせん)や、沃焦海(おくしょうかい)といった、下の世界に落とさないで下さい」と。こんなことをいって頼んでも、誰も救ってはくれません。(『六波羅蜜経』によります)。
このような苦しみは、地獄の苦しみよりもはなはだしいことがよくわかるでしょう。だから『正法念経』の中の詩には、次のようにあります。
「天の世界を離れるときは、心に大きな苦しみが生まれます。地獄のあらゆる苦しみだって、それに比べたら十六分の一にもなりません」と。 【 「源信『往生要集』」 花山勝友・訳 徳間書店 】
幼い頃よく見かけた、小さくてきれいな円形の栞のことを思い出します。祖母や父母がお聖教と一緒に持っていたものだと思いますが、栞には美しい羽衣と飾りを身につけて、空中を舞う天女の姿が描かれていました。天(上)界に住むといわれる天女の壮麗で優雅な姿は、今でも脳裏に残っています。
上の文では、迷いの世界(六道輪廻の世界)の一つである天界の様子について書かれています。全部で三種類あるといわれる天界のありさまを、忉利天という一つの天界をその代表として取りあげ、天界全体の様子として述べてあります。
楽しいことが極めて多く、人間界よりも上位にあるとされる天界ですが、「楽しみ極まりて哀情多し」と言われますように、楽しみも極度に達すれば、かえって哀しみを生ずるものです。天界の楽しみは人間界のそれの比ではないと思われますが、その分苦しみも多く、このことも人間界の苦しみの比ではないことが知らされます。なにしろ命が尽きる時に味わう苦しみは、地獄の苦しみの16倍だというのですから。
このような話を聞かされても、にわかには信じられないのが人間だと思いますが、これはすべてお釈迦さまが述べておられることですから、本当なのですね。「仏語に虚妄なし」ですから。凡夫に真実の姿を知らせることにより、厭離穢土を願わせ、早く迷いの世界から出させようとされる仏様の深いみ心が、その根底にあるのだと思います。
My impression:
Heaven is one of the six transmigratory worlds. It is a world where inhabitants there
have so many pleasures and are filled with happiness. It ranks above Saha world. But as they grow old, their bodies fail and have five kinds of declines. At that time they
have far more sufferings than human beings. The degree of their agony at their last
moment is so vicious that it can hardly be compared with that of humans. As for me,
Saha world seems better than Heaven. Even Heaven is no more than a world of
transmigration and impermanence.