お慈悲のままに

日々、思ったことを綴っていきます~(ちょっと英語もまじえて)。私の趣味は‘英語を楽しむこと’です。その一環として少し英語を取り入れることにしました。

Religion (宗教)

 今日世間では現代には宗教は要らぬというような声を聞く。われわれにはナンセンスにしか聞こえない。生きることがすなわち宗教になってるわれわれには、宗教は要る、要らぬの問題ではない。それは生きることは要らぬというに等しいのだ。           
 信仰を日々夜々用いて生きているわれわれには、信仰は要らぬどころか片時も離すことはできぬ。われわれは信仰によって初めて、われわれのような罪根の深重な、そして器量においてなんら取るに足るもののない光栄のない生命も、なお生きることを許されていることを信じることができる。いわゆる法界に容れられていることを信じることができる。単に許されているばかりでなく、いかなる聖賢や、英雄や、天才やをも法の前には絶対に平等であることを信じて安心立命することができる。                    
   【 「法然親鸞の信仰(上)」 倉田百三 】           
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 著者は次のようにも言っています。                   
「『信仰は生活と密接な関係がある』という言葉は、かなり信仰に志と理解のある人の言うところであるが、『密接な関係』どころではない。生活そのもの、生きることがそのまま信仰なのである」( The words, “ belief closely relates to life,” are the ones told by a person who has a considerable interest in and an understanding of belief. However, belief is far from being ‘a close relationship.’ It is life itself, or living itself. )
 著者の「宗教は要らぬということは生きることは要らぬというに等しい」という言葉が心に響きます。また著者の言葉通り、信仰のない生活は考えられません。無宗教の人々も多い今日、そういう人たちを思う時、「よく生きていけるなぁ」と正直思います。数多くの宗教がある中で、浄土真宗に出会い、弥陀の本願に遇えたことは比類なき喜びです。