死後の世界はあるの? ( Does the World after Our Death Exist? )
とりわけ仏教の問題は、人間としての自分の問題ではなくて、衆生としての自己そのものの問題です。自己そのものは単に人間とはいえないでしょう。われわれはこの世では人間という形相をとっていますけれども、自己そのものはいろいろな可能的な存在の形相をとり得るのです。仏教の言葉では「六道輪廻(ろくどうりんね)」ということが言われます。つまり、衆生としての自己は生まれたり死んだりして、地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天人という六つの存在の形を果てしなく廻るわけです。六道輪廻と言うと神話的な物語みたいに聞こえて、科学が発達していない昔の人がそんな夢物語を語ったのだろうと言う人がいますが、そういう科学主義の批判によっては、決して片づかない自己というものの謎が仏教の問題なのです。 (略)
人間として終わったとしても、私そのものは終わらず、また生まれます。人間として死ぬことは、つぎの存在に生まれるということです。私がこの世に生まれたことは、前の世で死んだということですし、私がこの世で死んだということは、つぎの世に生まれるということです。これは自然の道理ですね。今までは生まれたり死んだりしてきた私が、今回これきりで終わりだということは存在の理法に合いません。善導大師はそのことをおっしゃったのです。「自身は現にこれ罪悪生死の凡夫、曠劫よりこのかたつねに没し、つねに流転して、出離の縁あることなしと信ず」という言葉は、そういう自己の存在の本質に対する深い内省です。
【 『浄土の哲学 高僧和讃を読む 上』 大峯顯 本願寺出版社 】
死後の世界があると思っている人は多くないだろうと思っていました。ところが、「宗教情報センター」という機関の情報によりますと、
「2010年の朝日新聞の全国世論調査では、「死後の世界」が「ある」と思っている人は49%で、「ない」が43%だった。また死後も「霊魂が残る」かについては、「残る」が46%で、「そうは思わない」が42%だった」といいます。
このことについて当センターは「従来の科学で証明できないからといって信じないのは時代遅れになったようだ。この時勢要因と、加齢効果を考慮すると、これからの時代には「あの世」を「信じる」人がさらに増え、過半数に達しそうである。であれば、「あの世」について語られる機会は、ますます増えていくであろう」とのことでした。
とても良いことだと思います。「とかく浄土真宗は死後の浄土往生を抜きにしては語れません。( Anyway, Shin Buddhism cannot be told excluding the birth in the Pure Land
after our death. )」その浄土往生に至るまでには、避けて通れない六道輪廻のことなどについても、語られる機会が増えていくのは素晴らしいことです。