お慈悲のままに

日々、思ったことを綴っていきます~(ちょっと英語もまじえて)。私の趣味は‘英語を楽しむこと’です。その一環として少し英語を取り入れることにしました。

To Slander(誹謗)

 法然が『観経疏』をいくたびも熟読し、ついに回心したのは四三歳の時といわれているが表されたのは六十六歳。法然は回心によって確信した本願念仏を『選択本願念仏集』によって体系的に叙述しきったのである。                         
 しかし、その畢生の著述を法然は、「壁底に埋めよ」と結んでいる。「平等の慈悲」を求めて「浄土宗」という一宗を起こした法然である。その法然が、本願念仏の宣言文である『選択本願念仏集』を壁底に埋めて他見を憚ったということは矛盾ではないのか。「壁底に埋めよ」という要請を、どのように読みとればよいのか。                 
 法然自身は、「破法の人がこの書を誤解して悪道に落ちることのないように」とその理由を述べている。一般的にいえば、さきにものべたように、本願念仏の趣旨を理解できない人々、とりわけ既成仏教のただなかにある僧侶たち、そして彼らと利害を共にする権力者たちの弾圧を明らかに予想した言辞といえる。法然からすれば、こうした人々は本願念仏を否定し、弾圧することによって、まぎれもなく「誹謗正法」の罪を犯す人々である。その罪はきわめて重い。                                  
 法然は、『選択本願念仏集』を「壁底に埋める」ことによって、そうした罪が生じることを少しでも防ごうとしたのであろう。本願念仏を弾圧する人々への慎重な配慮といってよい。【『法然を読む』阿満利麿 角川ソフィア文庫 】                                                   
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 上記文面からは、法然上人が、人々が正法を誹謗することをとても恐れておられたことがわかります。上人自身が書かれた『選択本願念仏集』を「壁底に埋めよ」と言われたとは、厳しい言葉だと驚きますが、人々に謗法罪を作らせないための配慮だったのでした。   


 ところで蓮如上人も御文章(一帖目十四通)に、次のように書かれています。 「どの宗教もみな仏の説かれた教えですから、あやまって悪口などいってはいけません。そもそも、みな一宗一宗それぞれ伝統ある教えですから、自分はそれに従わないというばかりのことであるべきです」(『蓮如の手紙』浅井成海)       
( Any sect is the teachings of Amida Buddha. Therefore you must not wrongly speak
ill of them. Basically, every sect is the traditional teachings, and so you should only be
required not to comply with it. )


 蓮如上人が、他の宗派を「ただ信じないようにすればよい」と言われていることに、人々に謗法罪を作らせないための配慮が窺われます。