お慈悲のままに

日々、思ったことを綴っていきます~(ちょっと英語もまじえて)。私の趣味は‘英語を楽しむこと’です。その一環として少し英語を取り入れることにしました。

Both Sadness and Gladness Are Compassion and Benevolence(悲喜ともに慈恩なり)

 因念寺(大阪)の住職、淺田恵真師は、師の恩師である土橋秀高(しゅうこう)師の波瀾に満ちた晩年の様子を通して、阿弥陀仏の慈恩について説法されています。その内容について『闇を照らす光の言葉』の中で語られていることをまとめてみました。        
 まず、土橋師の晩年の様子です。                    
 土橋師は60歳で大学教員を退職し、自坊の真光寺(京都)の住職に専念しました。その後一年余り経って、突然に奥さんが亡くなり、さらにその二年後には、真光寺の本堂と庫裏(くり)が火事で全焼してしまいました。幸いにも門徒さんたちの寺を思う熱意によって再建されたのですが、その後継ぎにと思っていた息子さんが自ら命を絶ってしまいました。そのため、お孫さんに後を託したいと思ったのですが、まだ若い息子さんのお嫁さんはお孫さんを連れて実家へ戻ることになり、土橋師から去っていったのです。そのため、寺と住職のことを心配した門徒の人たちは、土橋師に再婚を勧めることになり、二人の子供を連れた女性と再婚しました。三人とも土橋姓になり、初めは良かったのですが、後になって坊守となったその女性は、門徒の悩み事の相談に浄土真宗の教えに反する厄払いの祈祷を勧めるようになったのです。土橋師の止めるようにという説得に応じず、結局二人は不仲となり離婚することになりました。ところが、離婚も一筋縄とはいかず裁判沙汰となり、離婚が成立するまでに長い時間がかかりました。そしてようやく離婚が成立したとほっとする間もなく、よほどの心労が重なったのでしょう。その後10日ほどして土橋師は亡くなったのです。 


 あまりに波瀾含みで、苦しいこと、悲しいことが続いた晩年だったようです。しかしそんな中でも、土橋師はいつも阿弥陀仏のご恩を感じていたと思われる言葉が、火事で寺が全焼してしまった時に発せられた言葉、(阿弥陀仏より)「厳しいご指南をいただきました」という言葉に表れていると思われます。また、この間の心の内が、土橋師著の随筆集『雲わき雲光る』の中の歌や、色紙に書かれた歌に残されています。                
  春浅し 部屋の隅より せまりくる                  
  寂しさの中 わが子の声あり                    


  今からは孤独ぞ 我は秋空に                     
  ぽつりと浮かぶ ひとひらの雲                          

  両親(おや)おくり 妻先にゆき 子の急ぐ
  茜(あかね)の雲は 美しきかな                         

  南無したてまつる                          
  悔恨(かいこん)すれども歳かえらず                 
  憂悩(うのう)すれども年測(はから)ず               
  悲喜ともに慈恩なり                               

  願かけて いのる心に 先立ちて                   
  寄り添うみ親 あるを思わず


  今はただ 何思うすべもなし                     
  恩愛の絆(きずな)を断ちて                     
  念仏申さん                                  

 次は、淺田恵真師の言葉です。                     
 「この随筆集の『雲わき雲光る』というタイトルもすごいと思います。考えてください。私たちの人生には次から次に障害物が湧いてきます。その時に、私たちはその障害物を避けよう、除(の)けよう、逃げようとしているから、その雲が光らないのです。その障害物に正面からぶつかった時に、ここに「悲しみこそがお慈悲である」「悲しみに照らされて、お慈悲を教えてくださる」ということが納得できるのです。お慈悲に出遭えたというその時点で、悲しみがありがたかったと思えるのです。ですから、悲しみというものに対して正面から向かい合うことがなければ、悲しみは輝かないのです」               
 また、このようにも仰っています。                   
 「自分にとって都合のいいことがあった時、うれしい時は、『ありがとうございます』とお念仏が出てきますけれども、悲しい時、苦しい時、特に自分の思い通りにならなかった時に、『ありがとうございます』というお念仏が出てくるでしょうか。
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 (土橋)先生は波瀾に満ちた晩年を過ごされましたが、その中からいつでも、『ありがとうございます』という“感謝のお念仏”を称えられました」 

              
 淺田恵真師は「悲しい時でも、苦しい時でもいつでも『ありがとうございます』というお念仏が出てくるでしょうか」と問われています。とても厳しい質問です。私は土橋師は真の念仏者だと思い、師の生き方に感銘を受けました。私もそうでありたいもの、と思います。    
(Mr. Asada says, “ Can you say 'Namu-Amida-Butsu' even whenever you may be sad
or have a hard time?” It is, to my thinking, a very difficult question. His way of living
made a deep impression on me since I thought he was a true nembutsu person. I’d
like to say the Name like him even if I am going through hardships.)


※淺田恵真
1945(昭和20)年生まれ。本願寺派勧学、龍谷大学教授(文学博士)、大阪教区天野南組因念寺住職。