お慈悲のままに

日々、思ったことを綴っていきます~(ちょっと英語もまじえて)。私の趣味は‘英語を楽しむこと’です。その一環として少し英語を取り入れることにしました。

According to the Buddha’s Teachings(仏のみ教えに準じて)

 方向転換するのも今です。今、何が正しいか、何が間違っているかということに気づくのです。気がついたからといって、みんなすぐに直るわけではありません。   (中略)                           
 少しずつですけれども、過ちを過ちとして、正しいものを正しいものとして承認してゆく。そういう心が開ければ、すでにその人は仏道に立ったわけです。仏道に立っているという自信、さとりに向かって立っているという自覚があれば、その人は自分の人生の方向はもう間違わなくなります。                                 
 完成するということはありません。この世で全部が変わるわけではない。しかし、何が正しいか、何が過ちか、それだけは知らせてもらい、及ばずながら少しずつだけれども、自分の都合だけでものを考えずに仏のみ教えに準じて行動してゆく人間になろう、人の痛みを共に痛み、人の悲しみを共に悲しむような姿勢を持って生きてゆこうと決意することです。これが大事なことです。                               
 そういうことに目覚めさせてくださるのが、お経の言葉であり、仏さまの教えです。それが今、聞こえてくるのですから、仏さまは今に生きていらっしゃるのです。今、仏さまと出遭い、今、方向転換するのです。これが大切なことであり、そういうことを教えられてゆくのです。                
   【 『闇を照らす光の言葉』  梯實圓 淺田恵真 】        
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 仏さまが教えられていることで大切なことは、「命」の尊さです。‘人の命は地球より重い’と言われますが、では「何故」と問われると、それに対する明解な答えは仏教以外に聞いたことがありません。仏教では、私たち一人ひとりの命は仏さまから頂いたもの、究極的には仏さまの命の一部を生きているのだから尊いのだといわれます。             
 仏さまから見れば、私たちはそれぞれが仏さまの‘ひとり子’なのです。私も仏さまの子供なら、他人も皆一人ひとりが仏さまのかけがえのない子供です。人間でも親は、自分の子供たちは仲よく助け合い、お互いを敬って生きていってほしいと願います。我が子が互いに憎んだり、傷つけたり、さげすんだりする仲だったら、どんなに悲しいでしょうか。    
 ここに、人を大事に思い、敬愛の念を持たなければならない理由があります。もし、そうでなく、私が自己中心で、人を見くびるようなら、あるいはお互いに憎みあうようなら、どんなに仏さまを悲しませることでしょう。永遠の命を与えてくださる大恩ある仏さまです。ご恩を思えば思うほど、悲しませるようなことはできません。              

 この思いが今を生きる私の心の中に土台としてあれば、梯師の言っておられる「人の痛みを共に痛み、人の悲しみを共に悲しむような姿勢を持って生きてゆこうと決意すること」ができるのだと思います。               
( If this thought is in my mind as a basis in my living now on, I believe, as Mr.
Kakehashi says, I can make up my mind to live on with an attitude where I will ache
together with other people when they ache, and I feel sad together with them when
they feel sad. )