The Way We Live(生き方)
世語(せご)を欣(ねが)はず、楽(ねが)ひ正論(しょうろん)にあり
(『注釈版聖典』五一頁)
(The bodhisattvas do not relish worldly talk, seeking only right speech. )
(省略)
このお言葉に出あうと、私はいつも、『御伝鈔』に記された親鸞聖人ご臨終の一段、「口に世事(せいじ)をまじへず、ただ仏恩(ぶっとん)のふかきことをのぶ」(『注釈版聖典』一〇五九頁)の語が重ね合わされます。世の中の雑念を交えず、ただ正しい道、真実の教えを求められた聖人のご生涯が想起されるのです。
(省略)
私たちは、世間のことばかりが気になります。「景気はどうなるんだろう」、「また税金が上がるのか」、「世の中、どうなっているんだ」。こんなことばかりに明け暮れています。そのことばかりに気を取られて、「私は、何のために人間に生まれてきたのか」、「この私の命の落ち着き先は、どこなのか」という最も大切なことが見失われているのではないでしょうか。
(省略)
『歎異抄』には、「念仏者は無碍の一道なり」(『注釈版聖典』八三六頁)とのお言葉もあります。念仏の教えを中心にした生き方を送る者は、世間の価値観に縛られたり、振り回されたりせずに、まっすぐな浄土への道を歩むことができるのです。
浄土に往生された人の功徳ですから、私たちが完全に実行することはとてもできません。しかしながら、浄土の真実のあり方を知ることによって、今の私たちの生き方が反省せられ、少しでも真実にかなった道を歩もうとする意志が生まれるのではないでしょうか。
浄土は、私たちの生き方を映し、私たちの生き方を質(ただ)す、法の鏡と言えるでしょう。
「世語を欣はず、楽ひ正論にあり」
目標としたい生き方です。
【 『珠玉のことばたち』 満井秀城 本願寺出版社 】
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上記文中の「世語」とは、『浄土真宗聖典』によれば、「仏道修業にとって利益にならない世間の俗論」と注釈がついています。このことと、上述の内容からかんがみて、「世語を欣はず、楽ひ正論にあり」という言葉は、「世間の価値観に縛られたり、振り回されたりせずに、念仏の教えを中心にした生き方をすること」と解釈できると思います。
私にとっても、目標としたい生き方です。