お慈悲のままに

日々、思ったことを綴っていきます~(ちょっと英語もまじえて)。私の趣味は‘英語を楽しむこと’です。その一環として少し英語を取り入れることにしました。

Daily Life Where You Are Glad of Now(今を喜べる日暮らし)

 無明(煩悩)の私から自由になれる世界が一つだけあります。それが阿弥陀さまのはたらきです。例えば、ここに船があり、煩悩という荷物を積んで航海しています。船長は私で、何とか岸に着こうと一生懸命舵を取ります。ところが、荷物である煩悩はだんだん増えてゆき、船は荷物の重さに沈んでゆきます。これを無始以来何回繰り返してきたでしょう。  
 しかし、ここに阿弥陀さまの「われにまかせよ」という呼び声に知らされるのです。私は舵取りの船長ではなく、荷物の方であったと… 。         
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 どんなに荷物が大きくても舵取りが阿弥陀さまなら問題ありません。いかなる大荷物でも、そのままぐいぐいと、船は浄土に向かっていきます。南無阿弥陀仏がそのまま煩悩山積みの船を浄土へ引っぱっていくのです。         
 念仏申すひぐらしは、浄土に向かうひぐらしです。その時、船に積まれた大荷物の煩悩こそ、ありのままの私の姿だと受け入れられていくのです。心配事がなくなったからではなく、日常尽きぬ心配事があるがまま、煩悩があるがまま、今を、ただ今をよろこべるひぐらしがお念仏のひぐらしです。  
 【 法話:福間義朝(広島県教専寺住職) 本願寺新報第3185号より 】  
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 この法話は、親鸞聖人の「凡夫というは 無明煩悩われらが身にみちみちて 欲もおおく いかり はらだち そねみ ねたむこころおおくひまなくして 臨終の一念にいたるまで とどまらず きえず たえず」の言葉を受けてのものです。
 煩悩の塊の凡夫が南無阿弥陀仏によってぐいぐい救われていく様子が分かりやすく説かれています。                          


 「念仏申すひぐらしは、浄土に向かうひぐらしです」「ただ今をよろこべるひぐらしがお念仏のひぐらしです」

 この言葉を実感できる日暮らし、本当にいいですね。           
( Daily life in which you can realize these words is really good, isn’t it? )