To Grasp and Never Abandon(摂取不捨)(1)
親鸞聖人は…… 「摂取不捨(摂取してすてたまわず)」の語に、阿弥陀仏だけの特別な意義をご覧になり、国宝本『浄土和讃』には、この語の意味を、聖人ご自身による註記(左訓)として記しておられます。
それによれば、「ものの逃ぐるを追はへるとなり」(『註釈版聖典』五七二頁脚註)とあります。阿弥陀さまは、私たちが阿弥陀さまの方を向いている時だけ救う仏さまではなく、私たちが、どこを向いていようと、むしろ背を向けて逃げてばかりの私たちを、追いかけ続ける仏さまなのです。子どもが、お風呂から上がって、ふざけて裸のまま逃げ回っているのを、お母さんが追いかけて、ついにはバスタオルでくるめとってしまうように、阿弥陀さまに背を向けて逃げ回る私たちを、阿弥陀さまは、追いかけ詰めに追いかけて、ついには南無阿弥陀仏でくるめとってくださいます。これを蓮如上人は、「南無阿弥陀仏に身をばまるめたることなり」(『同』一二六三頁)と述べられました。
【 『珠玉のことばたち』 満井秀城(みついしゅうじょう) 】
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私自身のこれまでのことを考えた場合でも、どれほど阿弥陀さまから逃げ回ってきたことかと思われます。
阿弥陀さまの長期にわたるご苦労は、察するに余りあります。
( I cannot imagine how much trouble and time the Buddha has taken for my sake.)
※(注釈版聖典脚註p.1263)
身をばまるめたる: その身を包まれている