The Buddhas’ Logic(仏の論理)(1)
われこの利を見るがゆえに、この言を説く(『仏説阿弥陀経』)
(『註釈版聖典』一二五頁)
(略)
「我見是利、故説此言(われこの利を見るがゆえに、この言を説く)」と、お釈迦さまご自身が念仏往生の働きを目のあたりにしたからこそ、この阿弥陀経のご説法を説くことになったのだという、釈尊ご自身による、念仏往生の教えに対する力強い証明のお言葉が述べられています。「実際に、この目で確認した」との言葉には、大きな説得力があります。私たちは、実際に確かめたことでなければ、なかなか信用しないのであって、釈尊は、こういう私たちの疑い深さを見抜いておられたからでしょう。
ところが、私たちの、この疑い心はとどまるところがなく、お釈迦さまの言葉さえも疑ってかかるようになります。お釈迦さまのご説法でありながら、「浄土は本当にあるのだろうか」「念仏ひとつで浄土に往生できるなんて、本当だろうか」と、すぐに疑い心が顔を出すのです。
(略)
仏さまの世界のことは、凡夫がいくら集まって(議論して)もわかるものではありません。仏さまの世界のことを、凡夫の論理で「ああでもない」「こうでもない」と言っても話になりません。凡夫の浅知恵で及ばないことは、悟った方に聞くしかないのです。だからこそ、お釈迦さまのお言葉を素直に聞いていくほかないということです。
【 『珠玉のことばたち』 満井秀城 本願寺出版社 】
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「仏さまの世界のことを、凡夫の論理で『ああでもない』『こうでもない』と言っても話になりません」。素直に受け入れたい言葉です。
仏の論理は仏に任せるべきです。凡夫の立ち入る余地はありません。
(The Buddhas’ logic must be left to the Buddhas. There’s no room for sentient beings
to interfere in.)