お慈悲のままに

日々、思ったことを綴っていきます~(ちょっと英語もまじえて)。私の趣味は‘英語を楽しむこと’です。その一環として少し英語を取り入れることにしました。

Our Viewpoint of a Funeral(葬式に対する考え方)

 先日、世界的に有名な英国のロック歌手、デビッド・ボウイさん(69歳)が死去したとのニュースがありました。残念ながら、ロックミュージックに関心が無く、ボウイさんという人物も知らなかった私ですが、少なからず驚いたことは、ボウイさんの葬式に対する考え方です。                  
 英国の大衆紙、デイリー・ミラー(電子版)は、当人の遺体は、居住先のニューヨークで、死去直後に秘密裏に火葬されたと報じたそうです。生前の本人の「騒ぎ立てずに逝きたい」と希望していたことや、「華やかな見送りや大々的なショーをしないのが彼のスタイルだった」こと等、「本人の意向に沿って近親者も付き添わず、葬式も執り行われなかった」といいます。         
 彼のように、ポップカルチャーに影響を与え続けた伝説的歌手と言われる超有名人の葬儀なら、一般に盛大に執り行われるのが普通でしょう。しかし、事実は全く違ったのでした。 


 そこで、葬式といえば思い出すのは、親鸞聖人が言われたことを記されている覚如上人の言葉です。「『親鸞閉眼せば加茂川にいれて魚に与うべし』と云々。これ即ち、この肉身を軽んじて、仏法の信心を本とすべき由をあらわしまします故なり。これをもって思うに、いよいよ葬喪を一大事とすべきにあらず。もっとも停止すべし」(改邪鈔)
 ここから明らかなように、一大事とすべきは「信心」であるという親鸞聖人の遺意を思い量られた覚如上人は、葬式など止めてしまいなさい、とまで仰っています。                     

 事実、葬式を執り行わなかったボウイさんが、もし真宗信者だったら、と私はとっぴな想像をしながら、もしそうであれば、真宗界や信者に少なからぬ影響を及ぼしたかもしれないとか、聖人ならどう思われるだろうとか、思い巡らしています。           


デヴィッド・ボウイ
David Bowie, the iconic and shape-shifting British singer whose illustrious career
lasted five decades with hits like “Fame,” “Heroes,” and “Let’s Dance,” died Sunday
after an 18-month battle with cancer. He was 69. (The Japan Times On Sunday)
(「フェイム」「ヒーローズ」「レッツ・ダンス」などのヒット曲を出すなど、50年にわたる輝かしい経歴を持ち、エキセントリックなファッションやメイクで変装するなど、(ファンの)憧れの的であったデヴィッド・ボウイは、1年半の癌との闘病の末、日曜日(10日)死去した。69歳だった。)(ジャパンタイムズ オンサンデーより)