お慈悲のままに

日々、思ったことを綴っていきます~(ちょっと英語もまじえて)。私の趣味は‘英語を楽しむこと’です。その一環として少し英語を取り入れることにしました。

The Importance of Shinjin(信心の大切さ)

 恒例の、親鸞聖人の遺徳を偲ぶ「御正忌報恩講」(期日:1月9日〜1月16日、処:西本願寺)が行われ、幸いネット中継により、数名の講師方の説法を聞かせて頂きました。  

 その中の1人、淺田恵真師の、「安心を頂く大切さ」についての話の中で、特に印象に残った部分があります。淺田師が30代の頃、大学時代に恩師と慕っていたS師が病気で入院され、師が見舞いに訪れた時のS師の様子を話された箇所です。            

 「淺田師が病室の前まで来ると、中から『なまんだぶ〜 なまんだぶ〜』と、大きな声が聞こえてきました。誰かと話しているのだろうかと思って中に入ると、実際はS師が一人だけで、とてもにこやかな表情をしていました。あと1週間くらいの命と医師から告げられていたにもかかわらず、話しぶりはにこにこと明るく、笑顔が絶えなかったのです。淺田師は、臨終が間近に迫っているのに『どうしてこんなに笑顔でいられるのだろう』、と不思議に思いました。実は淺田師は、その時までにお父さんを肝臓癌で亡くしています。お父さんの苦しんで亡くなった姿を見ていただけに、一層S師の明るい表情に『なぜこれほど穏やかな笑顔でいられるのだろう』と不思議に感じたのだと思われます。         
 ところが、後年になって、淺田師は、S師のあの時の笑顔は『すべてを阿弥陀さまにお任せしきった、安心した表情だった』のだ、と気づいたのです」             

 「安心(信心)を頂いて、念仏を唱える身になった人は、「死」を終着点と見ないのです」
( Those who have been enlightened by Amida Buddha and have come to intone the
Name do not regard death as a termination. )


と、締めくくられた淺田師の説法からは、信心のこの上ない力強さというものが感じられました。と、同時に、信心を頂いた人であればこそ、とその大切さをしみじみ感じました。