An Inappropriate Popular Name(不適切な呼び名)
最近、テレビドラマで私が好みとしているのは、ストーリーがテキパキと展開し、ハラハラ感を持ちながら楽しめる‘ミステリードラマ’です。特にミステリー物には、殺人事件をテーマにしたものがたくさんあります。
殺人事件には死人がつきものですが、この点で、嘆かわしくも驚くべきことが一つあります。ドラマに登場する刑事たちが、一様に死んだ人を仏さんと呼んでいることです。こう呼ぶ背景には、世間には「死んだら仏」という通念のようなものがあるからでしょう。死んだら誰でも無条件に仏になるなんて、全くお門違いというもので、仏教に対する冒涜です。
さらに、「誰でも」とは日本人に限らず外国人も例外なく含まれるということですが、私がふに落ちないのは、洋画のせりふの吹き替えでも死んだ人を「仏さん」と呼んでいることです。仏教と無縁のキリスト教徒が多い国々で、神を信じるキリスト教徒の人たちも死んだら仏になるのでしょうか。本当におかしな話です。
今さら言うまでもありませんが、「死んだら仏」は阿弥陀仏より信心を回向された(賜った)人にのみ当てはまる言葉です。そうでなければ、仏教の存在意義も仏教を聞く意義もなくなってしまいます。何より、阿弥陀仏が五劫という長期にわたる思惟の末に、本願を建てられたご苦労も水泡に帰してしまうでしょう。
このような訳で、「死んだ人」を「仏」と呼ぶのは全く不適切だと言わざるを得ません。
( That’s why I cannot but say it is totally inappropriate for you to call a dead person
a Buddha. )