お慈悲のままに

日々、思ったことを綴っていきます~(ちょっと英語もまじえて)。私の趣味は‘英語を楽しむこと’です。その一環として少し英語を取り入れることにしました。

Disabled Cars(故障車)

 私の家の近所に、事故などで傷ついた車を一時保管しておく置き場があります。そこは私もよく通る道路の横にあるのですが、気づいてから数年来、故障車は入れ替わりたち替わり、絶えず数台から十数台駐車し、ゼロになったことはありません。
 前面部、あるいは後部がぐしゃぐしゃになった車、ドアの部分が大きくへこんだ車、窓ガラスがない車、ボンネットやトランクが開いたままのもの、バックミラーが曲がったり取れたりしたもの、少しだけへこみのあるもの、一見どこが傷んでいるのかわからないもの等、いろいろです。通るたび、哀れな姿だなぁと思いながら通り過ぎていました。      
 ところがこの頃、それら車の姿が人の心に似ているように思えてきたのです。怒りや悲しみ、苦しみ等の乱れた心が、それら車の姿に重なるような気がします。そして、常時駐車しているところは人の心模様も常時そのようである事と重なります。
 私は自分の心を故障車に重ね合わせて見ていますが、阿弥陀さまが見られる人の心は故障車と同じようなものではないかと思います。           


 いつも哀れだなぁと慈悲の心で見ておられるに違いありません。      
(Amida Buddha must always looks on us with compassion.)