お慈悲のままに

日々、思ったことを綴っていきます~(ちょっと英語もまじえて)。私の趣味は‘英語を楽しむこと’です。その一環として少し英語を取り入れることにしました。

Saying the Nembutsu in Public(人前での念仏)

 『蓮如上人御一代記(現代語版))』(一三二)には次のように書かれています。     
 「『念仏するにも、よい評判を求めているかのように人が思うかもしれないので、人前では念仏しないように気をつけているが、これは実に骨の折れることである』と、ある人がいいました。普通の人と違った尊いこころがけです」                  


 上記の、「念仏するにも、よい評判を・・・・念仏しないように気をつけている」の部分は、「念仏するにも、“立派な人だと思われたいから念仏しているんだ”と、人が思うかもしれないので、人前では念仏しないように気をつけている」と、解釈できるようにも思います。この文は蓮如上人存命時の仏教がとても盛んな時代のものです。          


 では、仏教がだんだん廃れてきている現代ではどうでしょう。果たして、蓮如上人時代の「ある人」のような考えで、人前で念仏しないように気をつけている人はいるでしょうか。私に引き当てれば、「念仏するにも、“変な人だとか、変わった人だ”と、人が思うかもしれないので、人前では念仏しないように気をつけている」と、なるように思います。時代が違うと、こうも思いが違ってくるのでしょうか。悲しくなります。            
                                         
 でも、安心です。同じく『御一代記聞書』の(四)には、「念声是一(ねんしょうぜいち)」という言葉が書かれていて、口で称える念仏も、心の中で称える念仏も同じである、と教えられているからです。                               


 念仏が心に満ちてくる… 。誰に遠慮もいりません。私自身は、人前では大いに心の中で称えることにしましょう。                             
( When the nembutsu wells up in my heart, I don’t have to refrain from saying it
before anybody. I myself will greatly intone the nembutsu in my heart. )