お慈悲のままに

日々、思ったことを綴っていきます~(ちょっと英語もまじえて)。私の趣味は‘英語を楽しむこと’です。その一環として少し英語を取り入れることにしました。

The Bridge of Namu-amida-butsu(南無阿弥陀仏の橋)

 (略)信心の生活は、この世とお浄土をつなぐ南無阿弥陀仏の橋を行くことです。この橋は娑婆から繰り出した橋ではなくて、お浄土から娑婆へ来ている橋です。お浄土から来た橋を渡れば必ずお浄土へいきます。こちらから架けた橋なら、どこへ行くやらわかりませんが、南無阿弥陀仏の名号はお浄土からこの私のところへ来て下さっている橋でありますから、その南無阿弥陀仏を信じる人は必ずお浄土に行きます。南無阿弥陀仏の大いなる乗り物に乗るだけで、知らないうちにお浄土へ着いてしまうのです。その信心決定の瞬間を「金剛堅固の信心のさだまるときをまちえてぞ 弥陀の心光摂護して ながく生死をへだてける」と仰ったのです。                                 
  【 『即身成仏と信心決定「歎異抄」第十五条』 大峯顯 百華苑 】       
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 大峯師の書かれた書物には、私たちは「南無阿弥陀仏」の名号を通して阿弥陀様と気持ちを通じ合うことができると言われているところがよくあります。このことは感応道交とも表現されます。                                  
 ここでは、「橋」という言葉で表現されています。一日一日を「南無阿弥陀仏」を通して阿弥陀様と気持ちを通い合わせながら、阿弥陀様に導かれて浄土へと歩む生活ですから、「信心の生活は、この世とお浄土をつなぐ南無阿弥陀仏の橋を行くこと」になります。 


 決して壊れることのない、全幅の信頼のおける橋です。本当に心強いですね。     
( The bridge of Namu-amida- butsu is the one which we can put complete
trust in that never breaks up. We are really encouraged by it, aren’t we? )