お慈悲のままに

日々、思ったことを綴っていきます~(ちょっと英語もまじえて)。私の趣味は‘英語を楽しむこと’です。その一環として少し英語を取り入れることにしました。

Religious Ascetic Performance(修行 ②)

 NHKテレビのドキュメンタリー番組で、酒井雄哉さかいゆうさい)という人(僧侶)の修行の様子を見て興味を引かれ、酒井氏の言葉の数々をまとめた本『一日一生』、『続・一日一生』を読んでみました。                            
 酒井氏は比叡山に籠もり、天台宗延暦寺に伝わる荒行「千日回峰行」を二度達成した方です。千日回峰行は生半可な修行ではなく、一回の修行での総歩行距離は、地球一周分のほぼ四万キロになるといわれます。もし達成できなければ自害しなければならず、修行中は絶えず短刀を所持していたそうです。この修業が如何に厳しいかは、千日回峰行を二度達成した人は、記録に残る比叡山の文献でも酒井氏を含めて三人しかいないことからも窺い知ることができます。                                 


 その酒井氏が、書物の中で次のように話されている部分があります。「二度の千日回峰行が終わってから、いろいろと取材されたりするようになって、最近は「生き仏」だなんて言われるようになった。ぼくは、そういう言葉を聞いたら、自分自身、気をつけなきゃいけないと思うようにしてるの。だって、たまたま比叡山にやって来て、比叡山の千二百年の歴史や御威光にあと押しされて行をさせてもらったのに、みんなに「生き仏さま、生き仏さま」って言われて、「そうですか」なんてえらくなった気でいたら、それこそ、仏さんに申し訳ないよ。ぼくは行をする前と何も変わっていないし、世の中には、行なんてしていなくても毎日こつこつ生きていて、ぼくよりはるかにすぐれた人はたくさんいるしね。」      


 普通の人々から見れば、およそ人間離れした荒行を二度も成し遂げた酒井氏は、「生き仏さま」のように思われるのも無理からぬこととも思われます。また、修行を通して人間の生・老・病・死に対する深い洞察がなされ、それに基づいた氏の言葉からは、生きていく上で教えられることがたくさんあると思いました。                     


 でも、酒井氏自身が「ぼくは行をする前と何も変わっていないし… 」と言っておられるように、氏が修行を通して得られたものは、(残念ですが)浄土真宗で教えられる仏の「さとり」や、「信心」とはずいぶん異なるものだと思います。               
( However, as Mr. Sakai says that he has not changed at all from what he was
before, what he obtained through his ascetic practices are far different from
Buddha’s enlightenment and shinjin taught in Pure Land Shin Buddhism.)


※参照  http://d.hatena.ne.jp/miko415/20131003#p1 (修行)