Being Awoken(目覚める)
法話のなかでは、「生老病死が四苦である」と、まるで教科書を読んでいるかのように話される方がおられます。四苦の解決こそ仏教の原点ですから、そこに切り込むことが必要でしょう。きれいごとだけでは人の心に響きません。
幸せな日常生活、問題なく日常生活を過ごすことに心を奪われてしまっていますが、それは一つの人生の過程にすぎません。仏法聞かずに過ごす日常生活は苦の連続であると、教えてくれているのが仏法です。
驚きもせず、ドォ〜ンと腰をおろしている私を、仏法は心の底から揺さぶるのです。「安閑と過ごす日々など無いぞ!」「後生は大丈夫か?」と聞くほどにドキドキします。「阿弥陀は立ちずくめで待ち続けるぞ! 南無阿弥陀仏」の教えを聞くほどにワクワクします。
でも、そんな教えを聞いても、ドキドキもワクワクもしない人の数の方が多いでしょう。遠いところの他人事でしかないのです。
「目覚めよ仏教!」ではなく、目覚めなければならないのはこの私なのです。
【 『私のものさし 仏のこころ』 西光義秀 探究社 】
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仏教では、生老病死を四苦と教えています。この「四苦の解決こそ仏教の原点です」(‘ The very solution of the four pains is the origin of Buddhism.’ )と西光師は言われます。また、「仏教聞かずに過ごす日常生活は苦の連続であると、教えてくれているのが仏法です」とありますが、本当にその通りだな、と実感として受け止めています。
それに、この四苦の中でも最大の苦、「死苦」の解決のためには、「後生は大丈夫か?」( “Is your life after death all right? ” ) という問いに、師が言われるように、私が目覚めることが最も大事なことだと思います。自分自身に起こる問題を他人事として放っておくことなど、どうしてできるでしょうか。