お慈悲のままに

日々、思ったことを綴っていきます~(ちょっと英語もまじえて)。私の趣味は‘英語を楽しむこと’です。その一環として少し英語を取り入れることにしました。

Writings about Buddhism(仏教の書き物)

 次は、『蓮如上人御一代記聞書(現代語版)』第125(番目)の文です。        
「ご病床にあった蓮如上人が、慶聞坊(きょうもんぼう)に『何か読んで聞かせてくれ』と仰せになったとき、慶聞坊は、『御文章をお読みいたしましょうか』と申し上げました。上人は、『では読んでくれ』と仰せになり、三通を二度ずつ、あわせて六度読ませられて、『自分の書いたものではあるが、本当にありがたい』と仰せになりました」。         


 ここで私が注目したい所は、「自分で書いたものではあるが、本当にありがたい」という蓮如上人ご自身の言葉です。京都の山科・石山に本願寺を建立し、本願寺真宗を代表する強大な宗門に成長させた、浄土真宗中興の祖と崇められる方であり、その方が書かれた御文章です。人々を教化する力がある書物であることは、誰もが読めば納得できると思います。このような御文章ですから、筆者自身の上人が読まれた場合でも、「本当にありがたい」と思われるのは、ごく自然なことでしょう。                    

  
 それにもまして、蓮如上人をして「自分の書いたもの……….  」と言わしめたもう一つの訳は、御文章の内容が仏教だからです。つまり、仏さまの教えがあふれているから、といってもいいでしょう。言い換えれば、仏さまのまことの言葉が書かれているから、それが「ありがたい」という言葉になって、口をついて出たのだと思います。         
 このことから推測して思うのですが、世間には多くの仏教に関する書物が出版されています。それぞれの本の著者が自分で書いたものを読み返してみた場合どう思われるでしょう。きっと自分で書いたものとはいえ、感動される人も多いのではないかと思います。何故なら、仏さまを抜きにしては、仏教に関する書き物はできないからです。        

 私はこのコーナーで、主に仏教に関することを書いていますが、自分で書いた拙い文を読み返してでさえ、こんなことを書いていたんだと、思わず「ありがたいこと」と、はっとしたり、教えられたりすることがあります。ひとえに仏さまのお導きだと実感するのです。「手前みそを言う」、などという感覚は抜け落ちています。                 


 また、仏教に関するブログを立ち上げている多くのブロガーがおられます。でも、私もそうですが、自分で書いたものを、あまり読み返すということはしないのではないでしょうか。ぜひ機会を見つけて、自分で書いた文章を再読されてみてはいかがでしょう。新たな発見や、気づかされることがあり、鼓舞されることも多いと思います。             
 きっと、「自分で書いたものではあるが、本当にありがたい」と思われるに違いありません。( I am sure that you must think your writings about Buddhism are very
edifying though you have written them yourself. )