Good and Evil(善と悪)
親鸞の言葉15:仏の定めた善と悪
善悪のふたつ、総じてもつて存知せざるなり。(私は善と悪、二つの事柄について何も知らないのだ。)(『歎異抄』後序)
親鸞ほどの人間がものの善悪がわからない、というのだろうか。しかしここでいう善悪というのは一般的な善悪のことではない。仏の目から見た善悪のことをいっているのだ。われわれの考える善や悪は、「自分の都合」を通して判断しているようなものである。本当の善とは何か、悪とは何か、仏でなければわからないのではないか。「自分の都合」で構築されたこの世のすべては嘘偽りにまみれたものだ。だからこそ親鸞は何が善で悪なのかわからない、といったのだ。
【 『親鸞100の言葉』 釈撤宗監修 宝島社 】
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上記の言葉の後に親鸞聖人は、「煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、よろづのこと、みなもってそらごとたはごと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておはします」とも仰っています。煩悩にまみれた凡夫には、善悪の判断はできないことの証しであり、そこには、「自分の都合」を通してしか判断できない凡夫の姿があります。
詮ずるところ、善悪の正しい判断は、仏さまの目を通してしかわからないのではないか、ということから、聖人は、
「善悪のふたつ総じてもつて存知せざるなり。(I know nothing at all of good or evil.)」と言われたのです。
冷静に自己を内省された聖人なればこそ、の言葉だと思います。