お慈悲のままに

日々、思ったことを綴っていきます~(ちょっと英語もまじえて)。私の趣味は‘英語を楽しむこと’です。その一環として少し英語を取り入れることにしました。

Elders’ Way of Life(年長者の生き方)

 親鸞は晩年の境地を「自然法爾(じねんほうに)」(自然のまま、法のまま)と語った。私たちは老いを厭い、いつまでも若々しくありたいと思っているが、これは不自然なことである。まして自分の思い通りにならないとしかめ面をしてブツブツと不平不満をつぶやいていては、自分で自分の人生を不幸にしているのと同じであろう。            
 幼い子供が日々「成長」するように年長者は「成熟」しなくてはならない。人間として「成熟」するとは、どういうことか。人間に生まれさせていただいたのだから何があっても仕合わせで有り難いと思えるようになる。この世は一人では生きられないのだから、他人の立場に立って考えることができるようになることである。他者と対立する「自我」(エゴ)から他者と心の交流のできる自己(セルフ)に成熟する。                 
 この世には「分からないこと」(不可思議)が多い。その「分からないこと」を自分の「分かっている」わずかな知識に引きもどして語るのでなく、むしろ素直な感受性とつつしみを大切にしたいものである。自分の知り得ない不可思議な世界に対する「帰依」(南無)の態度によって利己的な「自我」から利他的な「自己」へとおのずから成熟せしめられるのである。                                       
  【『五濁の時代に 念仏の導き(上)』 木村宣彰 北日本新聞新書】       
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 年長者の生き方として、木村氏は「自然法爾」(自然のまま、法のまま)という言葉を挙げておられますが、その意味を『広辞苑』にはこのように書かれています。「[仏] 人為を加えず、一切の存在はおのずから真理にかなっていること。また、人為を捨てて仏に任せること。親鸞の晩年の境地」。                              
 年長者は「幼い子供が日々『成長』するように『成熟』しなくてはならない」と、「利己的な『自我』(エゴ)から利他的な『自己』(セルフ)」への成長を求められます。     
 しかし、このように「成熟」することはなかなか容易なことではありません。ところが「自分の知り得ない不可思議な世界に対する『帰依』(南無)の態度によって」とありますように、我が身を仏さまにお任せすることにより、仏さまの力によっておのずと成熟させられていくのですから、ありがたいことと言わねばなりません。                


自然法爾                                     
A term for the ultimate reality of Buddhism, expressing suchness, or things-as-
they-are, free from the bondage of birth-and-death. Jinen ( Honi ) thus signifies
that which is beyond form and time and beyond the domain of human intellect and
will. It is dharma-body as suchness, which “fills the minds of the ocean of all beings.”