お慈悲のままに

日々、思ったことを綴っていきます~(ちょっと英語もまじえて)。私の趣味は‘英語を楽しむこと’です。その一環として少し英語を取り入れることにしました。

Being Sure to See the Deceased Again(かならず再び会う)

 先立った方々を思えば、在りし日の面影を懐かしく思うとともに、言いようのない寂しさを覚える。                                    
 親鸞聖人は、お弟子に宛てた手紙の中で仰せになる。                
  浄土にてかならずかならずまちまいらせ候うべし                 
 再び会うことのできる世界がそこにある。今ここで、同じ信心をいただき、ともに阿弥陀如来の救いにあずかっている。だからこそ、かならず浄土に生まれて再び会える確かさを、今喜ぶことができる。                               
 本願の教えに出あえた時、今ここで救われ、再び会うことのできる世界が恵まれる。  
   【 『拝読 浄土真宗のみ教え』 編集委員会 本願寺出版社 】        
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 親鸞聖人のお言葉、「浄土にてかならずかならずまちまいらせ候うべし」を拝読しますと、とても頼もしく、またうれしく感じます。父母を初め、懐かしい人たちに再び会えるとは、「本願の教えに出あえた」からこそです。ここまで導いて下さった阿弥陀さまにただ感謝です。   

 「かならず再び会う」という意味で使われる仏教語に「倶会一処(くえいっしょ)」があります。                                     
 倶会一処(『広辞苑』)                              
  [仏]                                     
   ①多くの人々がともに一処に集まり会うこと。                 
   ②阿弥陀の浄土に往生して、浄土の人々とともに一処に会同すること。      

I will surely wait for you in the Pure Land.
 (浄土にてかならずかならずまちまいらせ候うべし)