The Karmic Cause(しかるべき縁)
『歎異抄』13条には、親鸞聖人が弟子の唯円房に言われたこのような話があります。「『どんなことでもじぶんの思い通りになるのなら、浄土に往生するために千人の人を殺せと私が言ったときには、すぐに殺すことができるはずだ。けれども、思い通りに殺すことのできる縁がないから、一人も殺さないだけなのである。自分の心が善いから殺さないわけではない。また、殺すつもりがなくても、百人あるいは千人の人を殺すこともあるだろう。』と仰せになったのです。(略)『人はだれでも、しかるべき縁がはたらけば、どのような行いもするのである』と仰せになったのです」(『歎異抄(現代語版)』より)
人を殺すも殺さないも、その時その縁があるかないかで決まると親鸞聖人は仰います。前回書きました父親による我が子の虐待死も、その縁が熟していたと考えられます。当然ですが、悪は悪です。当人はしっかりと罪を償わなければなりません。
「さるべき業縁のもよおさば、いかなるふるまいもすべし( If the karmic cause so
prompts us, we will commit any kind of act.)。」