お慈悲のままに

日々、思ったことを綴っていきます~(ちょっと英語もまじえて)。私の趣味は‘英語を楽しむこと’です。その一環として少し英語を取り入れることにしました。

「如来にお任せする信心」とは?(What Is the Meaning of Leaving Shinjin to Buddha?)

 蓮如上人は、「弥陀にお任せする信心ただ一つで仏になる」(『御一代記聞書』)と言っておられますが、「如来にお任せする信心」とは具体的にどういうことでしょう。      

 親鸞聖人は『唯信鈔文意』の中で「『聞』はきくといふ、信心をあらはす御(み)のりなり」(「聞」は聞くということであり、信心を言い表す言葉である)と言っておられます。つまり、「聞く」=「信心」であり、聞く一つで信心が与えられるということです。    

 また、聖人は「聞く」ということについて、「『聞』といふは、衆生仏願の生起本末を聞きて疑心あることなし、これを『聞』といふなり ( The word hear means that sentient beings, having heard how the Buddha’s Vow arose _____ its origin and fulfillment _____ are altogether free of doubt. This is to hear. )。」(『教行信証』)とも明言されています。   

 このように、「如来にお任せする信心」とは、「阿弥陀如来の教えを聞いて、疑いの心(疑心)が微塵もないこと」だといえます。誰もが阿弥陀仏の教えを疑いなく聞いて、信心をお任せする身になりなりたいものですね。