お慈悲のままに

日々、思ったことを綴っていきます~(ちょっと英語もまじえて)。私の趣味は‘英語を楽しむこと’です。その一環として少し英語を取り入れることにしました。

「かならず かならず」( “Sure Enough!” ) 

 山口県下関市の六連島(むつれじま)に、お念仏を大変喜ばれたお軽(かる)さん(一八〇一 ~ 一八五六)という妙好人がおられました。 (略)             

 お聴聞を始められた当初は、厚く高い壁に何度もブチ当たり、かえって苦悩が深まったこともありました。しかし、さらにお聴聞を重ねた結果、阿弥陀如来のお心がすでにわが身に至り届いていることに気づきました。苦悩のド真ん中と思っていた世界が大きく転換されたのです。そして「聞いてみなんせ まことの道を 無理なおしえじゃないわいな」と詠まれるまでのよろこびに変わられたのです。このお軽さんが次のような辞世の句を残されています。                                     

  亡きあとにかるをたずぬる人あらば                       

  弥陀の浄土に行(い)たと答えよ                        

 生前すでに自身のいのちの住(ゆ)き先が定まり、何の心配も不安もない安心しきった歌です。この煩悩まみれの身を見捨てずに抱きしめられているいのちに目覚められたのです。この「弥陀の浄土」こそ、親鸞聖人が“かならず かならず”と繰り返され、“待ちまゐらせ候ふ”とすでに待っていてくださる世界に他なりません。              

 『阿弥陀経』には「俱会一処(くえいっしょ)」(ともに同じところに集うことができる)と説かれています。千に一つ、万に一つも見捨てることのない、間違いのないお慈悲の確かさが“かならず”です。“かならず”浄土に往生したならば、同時に阿弥陀如来のはたらきで人間世界(穢土)に還ってくるのです。そしてお念仏のご縁のない方々に対して、縦横無尽にはたらきかける身にならせていただけるのです。                 

  この道は親鸞もゆき唯円(ゆいえん)も                     

  召されてゆきしわれらゆかなん     (梅原真隆)              

   【 『「拝読 浄土真宗のみ教え」の味わい』 藤井邦麿 本願寺出版社 】    

 

 仏法は聴聞が大事といわれますように、妙好人のお軽さんも、熱心に聞法されたのです。ついに「阿弥陀如来のお心がわが身に至り届いていること」に気づかれたのです。換言しますと、阿弥陀如来によって気づかされたのです。                   

 この上は、「亡きあとにかるをたずぬる人あらば …………… 」の詠のごとく、「何の心配も不安もない」人生が開けました。                         

 その上、浄土への往生が定まり、「俱会一処」と言われますように、懐かしい人たちに“かならず”会われた事と思います。                          

 そして、「この世を振り返れば、素晴らしい人生だったなぁと、心から思われたことでしょう ( When she looked back on this world, I think, she heartily thought her life

had been great.)。」