お慈悲のままに

日々、思ったことを綴っていきます~(ちょっと英語もまじえて)。私の趣味は‘英語を楽しむこと’です。その一環として少し英語を取り入れることにしました。

Endless Wishes(果てしない欲)

 人間以外の他の動物は自然界において自分が行動する範囲はこれくらい、自分が食べるものはこれくらいと、自然において棲(す)み分けている。それぞれが節制しているようにも見える。ただ、人間だけは果てしない欲望を持ち、自己中心的に生活の便利・効率・快適を限りなく追及し、自然が持つ持続可能性までも疎外している。人間は自然の一部でありながら自然を手段として自由に管理できるものと勘違いしている。その結果、自然を「想定内」のものと考えるに到った。                             
 仏教では「少欲知足」を説き、足ることを知る者こそが豊かな者であると教えている。また親鸞は、天変地異の天災と源平興亡の争いという人災が続発する時代に「真の人間」として生きる道を『教行信証』に次のように説いている。                 


  濁世の道俗、よく己(おの)が能を思量せよ                   
  今の時の道俗、己が分を思量せよ                        


 五濁悪世に生きる者は自己の「分際」「分限」を知り、おのれの「能力」「才能」をよく考えねばならない。われらは凡夫であり、聖者のような修行ができないことを思い知らねばならないと親鸞は教えられた。しかしながら、今の私には「エネルギー」と「テクノロジー」を操って自然をも支配しようとする人間の「分」と「能」の過信を誡(いまし)められた言葉のように思われてならない。                           
   【『五濁の時代に 念仏の導き(上)』 木村宣彰 北日本新聞社新書】       
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 親鸞聖人は、私たちに自己の「分際」や「能力」を知らなければならないと教えられました。ところがこの教えに違い、「人間は果てしない欲望を持ち、自然さえも管理できるものと勘違いしている」と筆者、木村氏は言われ、上記にはありませんが、その結果として引き起こされたのが、福島の原発事故という最悪の「人災」であったと、この著書の中で書かれています。あの事故以来、7年余り、今なお後遺症は尾を引き、多くの人を苦しめています。


 誰に教えられなくても、自分の心を見れば、欲に切りがないことがわかります。    
(Seeing ourselves, we know well that there is no end to our wishes even if no one
teaches it to us. )
 仏教で教える「少欲知足」、心がけたいことです。