子供は親を選んで生まれてくる( Children Are Born by Choosing Their Parents.)
今月初旬、東京都練馬区で、70代の父親が40代の長男を殺害するという事件がありました。長男は家庭内暴力を起こしていて、両親に対し度々暴力を振るい、反感を抱いていたといわれます。長男が発したと言われる「勝手に産みやがって」という暴言に、その反感が如何にひどいものであったか、が表れているように感じました。
また近ごろ、子供たちが両親に対して、「産んでくれと頼んだわけでもないのに」と口答えをすると聞くことがありますが、果たしてこのような発言は正しいのでしょうか。
この疑問に、仏教はどのように回答しているのでしょう。
仏教の根本は因果の理法であり、因果の道理を抜きにして仏教はありません。善因善果、悪因悪果、といわれますように、善い種をまけば善い結果が得られるし、悪い種をまけば悪い結果が現れます。また自業自得という言葉は日常でもよく使われますが、これを別の言葉で自因自果と言ってもよいでしょう。自分のまいた種は自分で刈り取らなければなりません。つまり、自分の行為(仏教では「業」といいます)は、自分で行った行為(業)の結果として残るのです。
このように、特定の父母のもとに生まれたのは、偶然でも何でもありません。自因自果(自業自得)であるのです。つまり、自分のこの世への出生は、かつて自分自身の意志によって作った業(行為)なのです。
よって、この世に生まれたという結果は自己が生み出したものであり、その因は自己が父母を選んだという行為にあります。因果の理法は「因縁果報」という言葉が表すように、父母は、自己が生まれる縁になったのであり、因と縁が結びついて出生という結果が生じたわけです。
従って、子供は自分の意志で父母を選んで生まれてくるのです。「産んでくれと頼んだわけでもないのに」と口答えするといいますが、しっかりと頼んでいます。ただ自己が、過去の行為を覚えていないだけなのです。また、「この因果の理法を理解すれば、『勝手に産みやがって』などの暴言は出る筈もありません( If one understands this law of cause and effect, they cannot utter such wild words as “You did bear me arbitrarily.”)」