奪い返される可能性( The Retaken Possibility )
存在は与えられているのであり、いつ奪われてもおかしくない 関根清三
神による世界創造という考えを否定しても、それが人に与えられているという事実は残る。そしてさらに重要なのは、与えられたものはいつか奪われるやもしれないという事実だと、聖書研究家はその著『内村鑑三』に書く。近代の科学・技術が創造の概念を放擲(ほうてき)しても、在るものには失われる可能性もまたあるというこの「根源的事実」まで一緒くたに手放してはならないと。
私自身は、冒頭のことばに「反応した」という思いです。「阿弥陀仏から与えられた信心」がすぐに思い浮かんだからです。
私たちの住む無常の世にあっては、「与えられたものはいつ奪われるやもしれません」。不安が残ります。
「しかし、阿弥陀仏から与えられた信心は、奪い返されることは決してありません。ここに絶対の安心があります ( However, shinjin given to us by Amida Buddha is not
retaken at all. Here is absolute relief.)」。