お慈悲のままに

日々、思ったことを綴っていきます~(ちょっと英語もまじえて)。私の趣味は‘英語を楽しむこと’です。その一環として少し英語を取り入れることにしました。

奪い返される可能性( The Retaken Possibility )

 存在は与えられているのであり、いつ奪われてもおかしくない  関根清三      

 神による世界創造という考えを否定しても、それが人に与えられているという事実は残る。そしてさらに重要なのは、与えられたものはいつか奪われるやもしれないという事実だと、聖書研究家はその著『内村鑑三』に書く。近代の科学・技術が創造の概念を放擲(ほうてき)しても、在るものには失われる可能性もまたあるというこの「根源的事実」まで一緒くたに手放してはならないと。                           

     【 朝日新聞コラム 「折々のことば」  鷲田清一より  】       

 

 私自身は、冒頭のことばに「反応した」という思いです。「阿弥陀仏から与えられた信心」がすぐに思い浮かんだからです。                          

 私たちの住む無常の世にあっては、「与えられたものはいつ奪われるやもしれません」。不安が残ります。                                  

 「しかし、阿弥陀仏から与えられた信心は、奪い返されることは決してありません。ここに絶対の安心があります ( However, shinjin given to us by Amida Buddha is not

retaken at all. Here is absolute relief.)」。