いのちの有限性の自覚 ( Realizing Limitedness of Life )
あるお坊さんが、「わしの死ぬところをみんなにみせるように」と遺言して亡くなったそうです。人間は死ぬのだ、ということを子や孫たちに実地に教育するためでした。このお坊さんにかぎらず、おじいさん、おばあさんが「人間はこういうふうにして死ぬのだ」と自分の死ぬところを子や孫に体験させるのは、先に逝く者の最後の大事な務めだと私は思っています。
(略)
平均寿命は八十年だとか言われますが、それはすべて統計の話で、自分がどうなるかはまた別の話です。一応のめやすとなっても、そのとおりに生きられる保証は何もありません。やりたいこと、なすべきことがあるのなら、それに向かって少しずつでも歩きだしましょう。いのちが有限であるなか、ほんとうに大切なことを探して生きるようにしたいものです。
【 『人生は価値ある一瞬(ひととき) 大谷 光真 】
大谷師が上記、最初の段落で、なぜこのように述べておられるのか、その背景には、「私の父は九十歳で亡くなりました。その父の老いて亡くなる姿を目にして、私自身どう老いていけばよいかなど、老いや死をより具体的により深く考えるようになったからです」と、この段落に続いて言っておられるのですが、その理由があったのです。
「いのちが有限であるなか、ほんとうに大切なことを探して生きるようにしたいものです。( When we think of limitedness of life, we’d like to live by finding out the really
important thing. )」。「命の有限性を自覚すること」の大切さがよくわかります。