『ありがたい深い話』( Edifying Deep Sermons ) (10 )
他人の死に臨んで、人はだれしもが今ここに生きていることの不思議さを感じるでしょう。
亡くなられた人はこの世の縁尽きて横たわっているのですが、ここに座っている自分は縁尽きずにいることに説明がつかないのです。わが計らいを超えたいのちの存在の不思議に思い至ります。うかうかとはしていられない。いつ尽きてもよいといい切れる世界に出会わない限り、私の不安の世界も果てしがないのです。(南砺市 真宗大谷派長恩寺住職 土居文雄)
この話から思い出すのは、先月ネット配信された僧侶の一人、瓜生崇師が「私は死ぬのが怖かったから仏教を聞いたのです」と強調して言っておられたことです。私自身も、聞いたのは死ぬのが怖かったからです。
もし聞かなかったら「私の不安の世界も果てしがないでしょう( If I had not heard
Buddhism, the world of my anxiety would be endless.)」