すべては人生の薬となる ( All Is Medicine of Life )
医王の目には、途(みち)に触れて、皆薬なり / 空海
「優れた医師の目で見ると、道端に生えている草でさえ薬になる」
空海の言葉は、「歪んだ眼鏡で物事を眺めていませんか。目の前に起ったことの意味を、思い込みだけで判断していませんか」と私たちに問いかけてきます。
病気にかかることを人は嫌がりますが、「もっと身体に気をつけよう」という気づきを与えてくれます。老いもまた「これからは無理せず、ゆっくり生きよう」という薬になります。将来のことが頭をよぎれば、これもまた薬になります。そう考えてみると、すべては人生の薬なのですね。
ところで医王という言葉は、釈尊を指す言葉でもあります。それは、患者の病気に応じて医師が薬を与えるように、釈尊が相手に応じて法を説くからです。
目の前にある価値に気がつかないのは、私たちが世間の物差しで見ているからです。仏の物差しで見れば物事ははっきり見えてくるのです。
【 『老いを生きる 仏教の言葉100』 ひろ さちや[監修] 】
「優れた医師の目で見ると、道端に生えている草でさえ薬になる」と、草でも価値があると言われます。上記にありますように、病気にかかったら「もっと身体に気をつけよう」 という気づきを与えてくれるので、「病気にかかること」が価値あるもの、つまり、薬になるというのです。
このような観点からしますと、日々、見たり、聞いたり、考えたりすることも、あるいは色々の行為等も、すべてが人生の薬であるといわれます。
また、「医王という言葉は釈尊を指す言葉でもある」のですから、私たちは物事を世間の物差しで見るのではなく、「仏(=釈尊)の物差しで見ることだと啓示されています。(The Buddha reveals that we should see things with the Buddha’s ruler.)」。